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人生という宇宙の飛び方を知った時、見上げた青空は涙で歪んでた。

「どうして僕は醜いの?」

皆が「良い」「泣ける」と言う『ワンダー 君は太陽』を観て思ったこと。まず結論から言おう、新しい作品だった。

始まるやいなや、宇宙服を模したフルフェイスヘルメット被った少年の自分語りがスタート。この時点で思ったね。あぁ~、顔面にコンプレックスある系か~。俺と一緒!よいちょまる!

死の。

でも、この映画を見始めてものの数分で同じようなファーストインプレッションを得た人は大勢いると思う。誰しもコンプレックスの1個や2個くらいは線引きし享受した上で日々過ごしてるからだ。ところが、本作は単なるお涙頂戴系ヘイト同情映画では決してない。

『美女と野獣』と同じプロデューサーがそんな安直なお涙頂戴展開を許すワケないだろうが。何が違うか。考えてみたんだが、他の感動映画との大きな違いとしてグランドホテル方式の物語展開という点が挙げられる。すみません、カッコ良く言いました。要するに群像劇。

虐められている人間の人生にフォーカスを当てるのが普通の映画。「虐められている側にも問題がある」という言葉は言い得て妙だと思うが、「虐めている側にも問題がある」のだ。コンプレックスと一緒で悩みの無い人生なんて無い。俺から言わせればそんなん人生じゃない。この映画は主人公であるオギー少年を主軸に、姉・姉の親友・学校で出来た初めての友達と、チェーンしながら周囲の人間に焦点を当てていく。

時には悩みを打ち明け合い、次第に心を開いていく登場人物たち。それは誰もが経験したことあるような、ありふれた悩みかもしれない。でも当事者にとっては人生に些事などない。虐められるには理由があるし、無視されるのも理由がある。その逆もまた然りだ。誰もが一度は至ったことのあるこの考えかた、本当にしっかりと考えたことある人は俺も含めていないと思う。相手の気持ちを完璧に理解することなんて不可能だから。

でも、想像することはできるハズ。 相手の気持ちを理解する。人類が群れを成して生活する生物である限り、人生の目的はコレに尽きるんじゃないかと俺は思う。思わない? なら貴方とは友達になれません。以上、解散。

「心の中を覗いたら、きっと普通の人なんていない」

ワンダー 君は太陽(吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク

相手をよく知りたかったら方法は1つ、良く見ること。

普遍的正義について『幼女戦記』でアプローチする俺は既に闇落ちしてる

「銃を取れ!奮起せよ!」

気が付けば、地上波で興奮しながらアニメを観ていた2017年からこんなに年月が経ってしまった。忘れている人ももう多いと思うので、今一度、”ラインの悪魔”ことターニャ・デグレチャフ少佐の戦績をおさらいしておこう。「あぁ、あの幼女そんなことヤッてたなぁ…」って微笑みが零れてくるなら、諸君らは誉れ高い幼女好きだ。胸を張れ。

  • 帝国史上初の魔道大隊設立&隊長就任
  • セオリーを無視し南方ダキア首都襲撃
  • 西方前線での斬首作戦で敵司令部壊滅

ここまでの戦果で年齢は確か10歳~11歳。悪魔や…。

劇場版でも存在Xに対する憤怒の感情は全く衰えを見せず、戦場で自重することなくジェノサイドするチート幼女。また、その御力に陰りは無く、乱高下する荒ぶった金髪ポニーテールを拝めるとは光栄至極にございます。

今回は劇場版らしく、敵側である義勇軍側にもメアリーという主人公クラスの登場人物が出てくる。正義感が強く、友軍のピンチへは我先にと駆けつけたがり、ターニャとは倫理観的に絶対に友達になれないタイプ。※メアリーが上官に無謀を諫められ、唇を噛んでいる時、ターニャは首都を爆撃しながら広範囲放送で自国の国家を斉唱している。どっちが主人公か一瞬迷うレベル。

人類のため、世界のため、皆で戦うべきです!

清々しいヒーロー精神溢れるメアリーの台詞。週刊少年ジャンプだったら間違いなくコッチが主人公だろう。軍事的合理性の塊が可憐な幼女の皮を被ってるターニャとの対比で対立構造が見事に分かりやすい。だが、ターニャも決して悪ではない。

ここで今回の本題に入ろう。正義とは何だ?

過去マイケル・サンデルは、あの有名な『これからの「正義」の話をしよう』で幸福・自由・美徳の3つの観点から正義についてアプローチをした。ならば俺は『幼女戦記』からアプローチしてみたということだ。いたって真面目だよ。

例えば本作でメアリーは復讐心にその身と心を燃やし、敵を討つことが全てであり正義。そのためだったら命令無視もするし幼女にだってグーパンする。コンプラ的には、まぁ…中身オッサンですし、許しましょう。対するターニャは、理性に基づく自由意志においてその場での最善を尽くしてきた。だから敵対する奴に娘がいても殺すし、その娘も向かってきたら殺す。所属する国・組織が悩筋で頼りないからこそ、個人技で秀でる幼女は生き残るために自分の意志こそが正義。神に救いを求めるなんて持ってのほか!

そもそも、戦争においては個人が生きたいと思う事すらも正義とする大衆意識が存在する。例え相手が自分を肉親の仇として狙ってきたとしても、自分の命を守って御国に貢献するためだったら向かってくる白羽の矢は容赦なく撃ち落とせの精神だ。平時においては、不公平に感じる考え方だが、それが戦争ってもんだ。つまり国や宗教が違えば、正義は変わってくる。これはルールにおいて規定される正義の概念が単一ではないことを証明している。

一旦身近な例を用いよう。俺が昔勤めていた会社は所謂ブラック企業で、会社のトップの意思決定が全ての家族経営ワンマンカンパニーだった。「私がルールだ」と声高々に言わんばかりの(というか、言ってた)振る舞いは、組織に所属していない人からしたら嫌悪感丸出しで、馬鹿げた姿に見えると思う。だが所属している人間にとっては、その社長の一挙手一投足が全てだった。だって雇用主なんだもん…クビになったら明日からどうするの? 結果、従順な兵隊の出来上がりである。フォースは暗黒面に染まり、斬魄刀を持てば虚が身体を乗っ取ろうと仮面を被せてくる。所属組織の正義という真っ黒い旗を刺され、犯され、心がガバッガバ状態。その会社でも何人かいたのだが、この状態が長く続くと、スタンフォード監獄実験よろしく、正義に組しない受刑者を虐める看守側になろうと躍起になってくる。こうなるともうお手上げ。ヤリマンダースベイダーと俺は呼んでいた。

無論、例にもれず俺もそのペラッペラの正義に従っていたワケだけど、心の中では「コイツ(社長)がおかしいと思う心だけは忘れないようにしよう…」といつも思ってた。コレですよ。コレが、一番大事。先にも述べたように、時代・組織・環境で簡単に変わるのがソーシャルな正義的概念。ただあくまでこれは正義的な概念であって、普遍的な正義ではない。常に変わりゆくものだからこそ、自分自身で常に「これが正しいことなのだろうか?」と疑う心にこそ普遍的な正義が宿っているんだと信じたい。人間は生まれた時は善き心を持っていたのだと。あのクソ経営者を今でも地獄の底に叩き落として、釜茹でされてる姿を眺めながら芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を大声で朗読したいと思う俺の歪んだ心にも、きっと正義が宿っているのだと、信じたい(信じたい)。

以上。長くなったけど、アニメ一つでここまで考えられるってすごく道徳的な世の中じゃない? みんな絶対もっとアニメ観るべきだよ~。漫画も良いよ、大事なことは漫画から学ぶんだよ~。え、まだあの映画観てないの?おかしくない?それって変だよ~。マジ有り得ないんですけど~、ウケる~。

っていう、頭の中肥溜め人間が主張する”有り得ない”という仮初の正義っぽい圧力に染まってはならない。それはその境遇だけで正義っぽく見える何かだ。大事なのはどんな環境でも自己の中で、正義とは?正しいとは?おかしいとは?と思える心を失くさないことだ。

ちなみに本編は、歩兵大隊と機甲中隊・砲兵隊が加わって帝国初の大戦闘集団:サラマンダー戦闘団が編隊&ターニャ隊長就任されて終了。

~俺たちの戦いはまだ終わらない…!!~END。

幼女戦記 コミック 1-16巻セット

アニメ2期、待ってます。

リア充絶対殺すマンに刃向かう真性ロリコンおじさんが一周回って可愛い

「お前らみんな、俺の子供たちだ」

一線超えてきたな、ボーダーおじさん。

2003年にアメリカにて公開された本作。『13日の金曜日』も『エルム街の悪夢』も、スリラー映画の枠に収まらずに一つのジャンルとして成立しているほど人気があるのは言うまでもない。そんな映画史における二大殺人マシーンが戦うというのだからホラー・スリラー好きにとっては胸アツである。

余談だが、個人的には『ハロウィン』のブギーマン、『羊たちの沈黙』のレクター博士を加えてスリラー四天王。

RPGだったらブギーマンが一番最初に出てくる”本当に強い敵”で、物語中盤で苦戦しそうだ。やっとの思いで倒したと思ったらフレディおじさんが現れて「くっくっく…奴は四天王で最弱…」とか言ってきそう。終盤突入。夢世界の戦いを生き抜き、辿り着いた湖のある森でジェイソン登場。ボス戦の前に立ち寄った民家でレザーフェイスに襲われる展開も面白いかもしれない。そう、森はボスラッシュだ。ホラー現象と殺人鬼はだいたい森で暴れる。数々の強敵を倒し気付く、レクター博士…まさか貴方が全て…→「君の勇気を称賛するよ(ズクシッ!)、君の心臓を食べよう」ナイフを刺された状態でラストバトル開始。ボス戦後、やったー、全員殺した―!褒めてよ悟史くーん!なんて暇はない、復活するブギーマン・フレディ・ジェイソンの不死スキル持ち。空いた枠には何時の間にかペニーワイズが座っているのだった…(続編に続く 的な?

誰かこのRPG作って。

余談が過ぎました、本筋に戻ろう。

そもそも夢世界が主戦場のフレディおじさん。現実世界で受肉した状態だと、汎用人型決戦兵器ムッキムキのエヴァンゲリオンことジェイソンの相手は分が悪いのでは? そんな俺の疑問も物語中盤で吹き飛んだ。

「女は俺のもんだ!邪魔すんな!」

これだけリビドーに忠実だともはや応援したくなる。可愛い。そう、フレディには溢れんばかりの情熱があるのだ。例えアウェイだろうと一矢報いる気概と性欲を感じる。メンタルで武装したロリコンは屈強ゆえ戦力差は皆無。ここから四天王2人による人間狩猟が始まる。

ヤリたい放題である。こんなに生き生きとスプラッタしてる2人は見たことない。途中、ジェイソンが電子機器に鉈をブッ刺して感電するというファン涎垂のお茶目具合。嬉しい、これは嬉しいぞ。ジェイソンは一直線で抜けているところが可愛いんだよな。そんなこんなで現実世界で睡眠薬投入されたジェイソンはフレディのホームグラウンド夢世界へ。そう、夢世界にいる限りロリコンは無敵。

『貞子 VS 伽椰子』で生まれた名言「バケモンにはバケモンぶつけんだよ!」の精神は万国共通らしく。見事に誘導されるバケモン2人。共倒れを狙うリア充たちは夢世界で劣勢のジェイソンを応援するが、トラウマを刺激されジェイソンは昏倒してしまう(可愛い)。

ラスト20分。リア充たちの頑張りで見事に現実世界に引っ張り出されたフレディおじさんはジェイソンにこれでもかと圧倒されます(なんだこのシーソーゲーム)。さぁ面白くなって参りました~、一進一退の攻防を繰り広げるバケモンゲーム。ここでロリコンは閃く、逆転の一手を。

「魚雷発射」

勝敗の結果はご自身の目で。

フレディ VS ジェイソン [DVD] ※なんと驚愕の33円

伝説の武器≪プロパンガス≫が火を噴くぜ。

重度のTRIGGER依存症の俺にとって『BNA』はアビガンよりも特効薬

新型コロナウイルスが蔓延して暇を持て余している社会のクズです。コロナ患者は黙ってNetflix登録して『BNA』を観た方がアビガンよりよっぽどコロナ治る。現に俺は治ったよ。

俺的人類史上1番面白かったアニメは高校生の時に観た『天元突破グレンラガン』なんだけど、以来ずっとGAINAXは俺にとっての精神病院だ。そんな俺が独立したTRIGGER作品を追いかけるのは自然の摂理だろう。※ちな『エヴァンゲリオン』にも一家言あるのだが、それはここで語る気は無い。いつか頑張って書くと思う。とにかく今は『BNA』だ。

希望を偽ってるんじゃない。TRIGGERは希望を示している。

まずOP・EDがお洒落すぎる。時代を捉えているというか。俺は音楽に詳しいワケではないので、小難しい音楽談義は意識高すぎてむしろ人間力低下してるアニソン好き風バンドマン達に譲ります。

ラップ+鎮魂歌=落魂歌として当時ニコニコ動画で祭り上げられたかの名曲 ”Libera me” from hell を地上波(しかも最終回直前の25話最高潮の瞬間)で流したTRIIGERの面々のことだ、きっと俺なんかと違って音楽にも明るいんだろう。そんな人たちが自分たちの作ったものに合わせる音楽だ。良くない、ワケがない。

「いつかアニメ史上もっともオシャレなEDを作りたい」という夢が叶ってしまった感ある。

TRIGGERにてプロデューサーを務める武井克弘氏(つまり神)の御言葉である。「EDで走るアニメは名作」という謎の法則が昔ネットで囁かれたことがある。真偽はともかく、このEDもその例に乗っ取っていうなら間違いなく名作の要素で溢れている。回ってるし(適当)。なんか、『リトルウィッチアカデミア』のEDみたいだなぁと感じたのは俺だけではないハズ。それだけでもう名作ってことだよ。

そもそも獣人をテーマにしてる点が良い。溢れ出る製作陣のパッションと獣人のコミカルさが見事にマッチして化学変化起こしてる。『パンティー&ストッキング』の時も思ったけど、このくらいクレイジーな世界観の方が、映えるよね。ここにTRIGGERお得意の強いの”戦う女の子”。最高じゃん?『キルラキル』の流子のDNAを継いだ新主人公はどんな活躍をするのかにも期待。

まだ6話時点ではストーリーは序章の序章って感じだけど、ここからどういう展開を魅せてくれるのか。この鬱々しい社会情勢を吹き飛ばしてくれる特効薬になってくれることを願うばかりである。

世界を変えてくれ。

全話視聴後の記事は下記
価値観の違いが自由を阻害するなんて決めつけているのはきっと自分自身

『イエスタデイをうたって』を観ることで逆説的に明日への希望が持てる

本作を初めて手に取ったのは中学生の頃だったと記憶している。当時から二次元に逃避を始めていた俺にとっては、現実から逃れて、オアシスのような安らぎを与えてくれるバイブルみたいなものだった。

萌え、恋愛、ギャグ、ホラー、SFといったように、ジャンル問わずに様々なアニメ・漫画を狂ったように漁っていたのだが、この本を読んだ時に感じたことが一つある。それは”構図の取り方がハンパない”ってこと。

被写体に対して、背景の空間の取り方が神ってると言えば分かりやすいだろうか(わからないだろうが)。とにかく、ほぼ全コマポートレイト写真並にしっかりと考えられたであろう構図で、丁寧に描き上げてる世界観に俺はヤラレた。もう、心が持ってかれたんだ。だから、一眼レフを買った。

そう、単純なんだ。俺は。

とは言え、構図を真似て撮るだけなので、誰にでもできる。ただ、何度シャッターを切っても良いと思えるような写真が撮れないと気付いた。「んー、何でだろう? 漫画みたいな配置で撮ってるのになぁ」なんて思ってた。馬鹿だったね。

この作品で見た構図は俺の中でもう完成されたモノになってた。だから、どれだけ真似てもそれを超えるポートレイト写真は撮れないんだって。何故すぐに気付かなかったのか。だからセンター試験失敗して国公立行けなくなるんだよ。死んで欲しい。むしろあの時俺は一回死んだ。それからというもの、ポートレイトは撮らなくなった。俺の一眼レフは見事にランドスケープ専用ギアにジョブチェンジしたのだった。

~プロローグ終了~

はい、ここからちゃんと作品について語るよ。

とは言え、今リアルタイムでアニメやってるから本記事ではネタバレしないでおこうと思ってる。ただ、アニメ独自の改変が多いので、もしかしたら原作とは違う形でラストを迎えるのかもしれないが。…そもそもラストまでいけるのか?どこで終わるんだろう。

深く考えるのはやめました。俺ができるのは本作のメインヒロイン晴(ハル)の良さを伝えることだけだ。

俺的平成ヒロインの中で少し特別枠に位置している彼女。『NHKにようこそ!』の中原岬と双璧をなすミステリアス・ヒロインとして、これからも永劫君臨し続けることだろう。

だがミステリアスなのは序盤だけ。「え、この子いったい普段何してるの?何なの?」という疑問は物語が進むにつれて解消されていく。

その実態は、死ぬほど一途な女の子。

ミステリアスに感じていたのは、距離感の取り方だろうと俺は思う。遠目で見つけた時はアンニュイな横顔で、話しかけたら満面の笑みのヒット&アウェイ女子、稀にいるじゃないですか。まさにそれ。「全然届かねぇよ~」とか思って余裕ぶっこいてたら、フリッカージャブで脳ミソ揺さぶってくるハートブレイカー。

恐ろしくは、一途ゆえに自然と零れる笑顔。好意をもった相手の前では無邪気になってしまうが、素に戻った時に「迷惑はかけたくない」という気持ちが蘇り、空気を読み、一歩引きつつ想い焦がれる。あぁ…今だけは性善説を信じたい。

こんな子がいるだけで、明日も生きようって思える。

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物語の登場人物に何を期待しているのかって、馬鹿にするならすれば良いさ。それでも俺は信じたい。性善説を。そしてアニメのハッピーエンドを。

少なくともアニメ最終話を見るまでは希望を持って生きていけると思ってるよ。

期待の新星『LISTENERS』は令和の『交響詩篇エウレカセブン』になれるのか?

広大な世界観、感覚的メカ戦闘、そしてボーイミーツガール。

地下から這い出して世界を救う様な(そう、『天元突破グレンラガン』の様な)、あの少年の内なるリビドーを呼び起こしてくれた、一種のワクワク感を2020年に再び感じれるとは思ってなかった。

正直、1クールなのか2クールなのかすら不明。ただ、オリジナルサウンドトラックが12話までの収録予定なので、現時点では1クールで終了する予定なのだろう…悲しい、本当に悲しい。

できれば本作の様な素晴らしいスタッフ・物語は2クール、いや…4クール(50話)で、しっかりとその世界を堪能したいものだ。そう思いませんか?思わないならココで作品紹介という俺の慈善事業は済んでる。帰れ。

そもそも、「昔のアニメ作品に名作が多かった~」と中年どもが居酒屋で口にするのは、単純に”長かった”という点が感じられる(俺自身も決して社会的には若くない年齢になるのだが)。

確かに、同年代では誰にも負けないくらいのアニメをみてきた真性ナード気質な俺でも、その辺のアニオタ中年よろしく「昔のアニメは良かった…」なんて、感慨深く空を見上げることはある。何故なのか。長かったからだよ。気付いた、俺。

長いということは、それだけ感情移入しやすいってことだ。本作の脚本家である佐藤大氏が手掛けた『交響詩篇エウレカセブン』。2005年4月17日から2006年4月2日まで放送したコレは、俺的3第名作ロボットアニメにランクインしている大作。だが、意外にも最近の”にわかオタク”どもは観ていない。もう、本当にね、最高ですから。

 

そりゃあ50話もあれば、途中「あれ?この話いらなくない?」なんて回もあったよ? でも違うんだよ、レントンがエウレカに出会ってから約1年もその成長を、ドミニクがアネモネに出会ってからの想いを、ジュブナイルを見守り続けるんだよ? そりゃあ感情移入しちゃうよ。しかもこの話いらなくない? なんて思ってた回が後々思い返すと大切な思い出の一つになってしまうから不思議だ。

ボーイがガールにミーツして世界を救う、こんなに素晴らしいことを見守れたなんて、俺は、なんて良き観測者になれたのだろう…なんて、自分自身にありもしないメタ的ジョブを与えてしまうくらいだよ。※当時中学生

ただ、コレは誰しもが体験したことあるんじゃないだろうか。

小説を読んで、漫画を読んで、更にわかりやすく言えば、3年間頑張った部活を引退した時でも良い。長い時間をかけて身に沁み込んだ体験は間違いなく自分自身の人生になる。まるで、終わった瞬間に一つの人生を体験し終えたような脱力感と賢者タイムが襲ってくる。それが良い物語という快楽発生機関だ。

だから、長いアニメというのは多くの人の人生の一部になっている。自分の人生を悪く言う人はいないでしょ。しかも想い出補正で良いところばっかりフラッシュバックしてくるから、そりゃあもうドンドン良くなるさ。そういうものなんだよ。だから俺と居酒屋で出会っても、「昔のことばかり掘り返す中年アニオタクソ野郎がキャンキャン吠えるねぇ…」なんて思ったらダメだよ。おじさん泣いちゃうよ。乱暴な文章書いて悪かったよぉ…何卒…。

 

というワケで、脱線しまくった感があるけど。

「LISTENERS」には期待しかない。

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※とりあえず俺は買った

間違いなく、この作品は後に熱く語られるモノだ。