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悪魔×悪霊×化物が襲ってきた『死霊館 エンフィールド事件』が実話な件

『死霊館』シリーズが好き過ぎる。”史上最長に続いたポルターガイスト現象”と社会的に記録されている「エンフィールド事件」において、ウォーレン夫妻が立ち向かった悪魔・悪霊・化物。コレが実話をもとに作られていると言うのがまた、好き過ぎる。

あらすじ

ロンドン北部に位置するエンフィールドで、4人の子供とシングルマザーの家族は、正体不明の音やひとりでに動く家具が襲ってくるなど説明のつかない数々の現象に悩まされていた。

助けを求められた心霊研究家のウォーレン夫妻(パトリック・ウィルソン、ヴェラ・ファーミガ)は、一家を苦しめる恐怖の元凶を探るため彼らの家に向かう。

幾多の事件を解決に導いた夫妻ですら、その家の邪悪な闇に危機感を抱き……。シネマトゥデイ

『死霊館』シリーズ時系列

①『死霊館のシスター』(2018)
②『アナベル 死霊人形の誕生』(2017)
③『アナベル 死霊館の人形』(2015)
④『アナベル 死霊博物館』(2019)
⑤『死霊館』(2013)
⑥『ラ・ヨローナ 泣く女』(2019)
⑦『死霊館 エンフィールド事件』(2016)

上記の通り、実は映画が発表されたのはシリーズ3番目なんだけど、実際に怪現象が起こった時代は一番最近なんだよ。舞台である1977年~1979年、イギリスのエンフィールドで起こった一連の事件は怪奇現象の記録が山のように残ってる。メディアもこぞって問題を取り上げて(一時は子供のイタズラとして総スカン食らったが)、結果的に、ヤバすぎる霊障の数々に科学的な説明が出来な過ぎて社会的に認められたという実話。これが100年前とか1000年前とか現実味の無い遥か昔じゃなくて、極々最近の事ってところに夢がある。

死霊館 エンフィールド事件(吹替版)

 

悪魔×悪霊×化物

悪魔「ヴァラク」

『死霊館のシスター』(原題:THE NUM)でスピンオフ化もされた驚異のシスター(悪魔)、霊圧がグリムジョー位ある。この作品に至っては『サイレント・ヒル』なみに恐怖が襲ってきて「としまえん」のお化け屋敷くらい小便チビりそうになるから是非とも恋人と観て欲しい。

死霊館のシスター(吹替版)

 

悪霊「ビル・ウィルキンス」

被害にあったハーパー家の次女に憑依して、数々の記録媒体に残った伝説的悪霊。実際の記録ではビルだけじゃなくて老女や幼い女の子の霊も目撃されてるけど、一番メディア受けに成功したのがビルおじいちゃん。作中ではヴァラクの傀儡で、実はそんなに悪い奴じゃなかったんじゃないかと仄めかされている。実は一番被害者っぽい。

 

化物「へそ曲がり男」

マザーグースの一節に登場する”背中曲がり男”こと「crooked man」がモデルの化物。作中に登場する3体の中では一番実害が無い(犬に化けて家宅侵入・刺し殺そうとしてくる位)。また、スピンオフ化が決定しており、ファンが多いのも頷ける謎の妖艶さを持っている。俺もぬいぐるみとか欲しい。彼に関しては偶々居合わせたお祭りに参加した感が強いが、ヴァラクに操られてなかったとしたら、それはそれで不思議で怖い存在。

 

次女の特異さが際立つ

なんと同時に3体も襲ってきた「エンフィールド事件」。実際に憑依されたり、触媒になったのはほぼ次女ちゃんだけなんだけど。噂では高位の霊力持ちだったとか…。『ブリーチ』で言うところの織姫。だからこそこんなにたくさん襲ってきたってワケなんだよ。今ごろ三天結盾とか使えるようになってるんだろうな


家族愛こそが闇に対抗する武器

例によって本作でも、悪霊に対抗するには”愛情”が至高の武器という演出がされている。これだから「死霊館」シリーズは止められない。涙と涎が止まらない。勇気がなく、いつも母親に怒られてばかりの末っ子が「コレ食べて元気出して」と心霊現象に意気消沈している母親を気遣う場面。これには辛い中でも、忘れてはいけない大事なものが描かれていた。ジェームズ・ワン監督のホラーに外れ無し

 

まとめ

実話を基にした話っていうのは、得てして地味なモノになりがちなんだけど。『死霊館 エンフィールド事件』はエンターテイメント作品として抜群に良く出来ている。

しかも、ホラーファンにとってこの作品が事実を基にして作られていることは、大きな意味を持ってくる。実際の所どのように除霊が行われたかは定かではないが、「事実は小説より奇なり」という言葉の通りこんなに綺麗にまとまっていなかったのは確かだろう。ただ、2年以上にも及ぶ怪奇現象・メディアバッシングに対して、親子の愛無くしては乗り越えられなかったのは想像に難くない。そこまで想像させることが出来るのはジェームズ・ワン以外には有り得ないと俺は思う。

これからも、愛情の尊さを魅せ続けて欲しい。

『SAW』シリーズ屈指の犯人”ジグソウ”は人類の敵ではなくダークヒーロー

数あるスプラッタ映画の中でも無類の人気を誇る『SAW』。始まりにして永遠の犯人、”ジグソウ”ことジョン・クレイマーは愉快犯に非ず。そして、狂人ですらなかったと俺は思う。正義を持つ彼はまさにダークヒーロ―。

あらすじ

パパラッチの男性アダムは水の張られた浴槽の中にいた。

栓が抜けて水が抜けていくのと同時に目覚めたアダムは、自身が酷く老朽化した手広いバスルームにいることに気づく。アダムの片足は鎖で繋がれ、部屋の対角線には同じように鎖で繋がれた医師、ゴードンがいた。そして部屋の中央には拳銃自殺の遺体が倒れていた。

鎖はとても外れそうになく、出入り口は硬く閉ざされていた。まったく状況を飲み込めなかったが、アダムは自身のポケットにカセットテープが入っているのに気づく。ゴードンのポケットにはカセットテープと、未使用の銃弾と、何らかの鍵があった。

自殺死体が握るテープレコーダーで、ふたりはそれぞれのテープを再生する。内容はそれぞれへ宛てたメッセージでゲームをしようとささやくのだった。

ソウ (字幕版)


息子を失った悲しみで目覚める

『SAW 4』で明らかになるジグソウ誕生の要因。ジル・タックって言う、ジョンの元妻が『SAW 3』で出てくるんだけど(結婚してたのかよ! カッコいいもんな! と叫んだ)、彼女が麻薬常習犯更生施設の経営者なんだよね。ジョンとの子を身籠っている時に、患者の一人が起こした強盗事件によってお腹の子が流産してしまう。これがキッカケで被験者殺しを始めるんだけど、俺はこれを知った時に漸くジグソウのことが好きになれたね。

「生きていることはそれだけで幸せなんだ、殺人なんて愚かだ」が持論のジョン。おま! お前がそれを言うのか? と俺も初めは思ってた。でも違ったんだよ。彼は必ず被験者(被害者)に助かる道を与える。助かるには五体満足じゃなくなるレベルの無理ゲーが多いんだけど、それぐらいのことしないと生きてる実感得られないよね? という鞭の先の飴。そして被験者に選ばれるのは決まって他人のことを踏みつけて生を搾取してきた社会の闇相手だけ。

ここまで言えば分かると思うけど、ジョン・クレイマーは決して愉快犯ヴィランではない。むしろ、スパイダーマンやバットマンと同じ、ダークヒーローに近い属性を持っている。自分なりの正義をもっているからこそ、多くの視聴者を惹きつけるし、作中でも模倣犯や心酔者、協力者が絶えず出てきたって事だ。

 

”ジグソウ”後継者の存在

ジョン・クレイマーを語る上で欠かせないのが、後継者の存在だ。ぶっちゃけると、初代”ジグソウ”ことジョンは元々末期ガンを患ってて、シリーズ3作目で死ぬんだけど。それから4・5・6・THE FINAL、2017年に『ジグソウ:ソウ・レガシー』までシリーズは続く。これが実に面白いし、話が良く出来てる。てか犯人死んでからの方が長いサスペンスって凄くね?金田一もコナンビックリだよ。つまり、 ジョンが死んでからは後継者がゲームを続けることになる(正確には2から)

アマンダ

『SAW 2』にて、皆のトラウマ・注射器プールにダイブかましたイケイケ姉ちゃん。彼女は後継者というよりは”ジグソウ”心酔者と言っても良いかもしれない。麻薬常習犯にでっち上げられて、病んだ挙句、本当に麻薬ヘビロテし始めたグレイテストウーマンって読んでも良い。ジョンによる「生きている幸福さを気付け」ゲームによって、人としての喜びに目覚め、以降ジョンのゲームのアシスタントとして活躍することになる影の立役者。

でも、完全な後継者になれたかと言えば実はそんなことは無い。被験者に対して生の執着を感じさせた後、希望という出口の無いジェノサイドをするだけという生粋のドSマーダーとしての才能が開花。ただただ行うだけのその姿にジョンが失望して怒る場面も(そしてアマンダは泣く、てかこの殺人にも実は理由がある)。

たぶんアマンダみたいに意思の弱いいわゆる普通の人がジョンの知識を得て、ある種の全能感を感じると、同じようになってしまう気がする。アマンダの姿は俺たちだ。自分を救ってくれた人の行いを手伝いたいという一心で、信念の無いまま心を壊した善良な人間だ。だが、”ジグソウ”にここまで心酔させる魅力があるということを、彼女はその命をもって示してくれた

ソウ2 (字幕版)

ソウ3 (字幕版)

ホフマン刑事

そう、刑事なんですよね。真なる後継者は。絶対にジョン・クレイマー捕まえるマンとしてその敏腕を振るっていたホフマンが、実は物語序盤から”協力者”として暗躍(時に表舞台でも活躍)し、二代目”ジグソウ”になったのは偶然ではない。

妹が恋人に殺されるという悲惨な目にあった彼は、捜査中だったジグソウの手口に見せかけて妹の元カレを殺害(リアル・ギロチンカッター)。この一見がジョンにバレ、「自分に従わないと君の殺人、世間にバラしちゃうよ?」 と脅される形で各ゲームの仕掛けや被験者の誘拐に協力するようになる。

ちなみに、『SAW 6』にてアマンダがプライドをギンギンにしてホフマン刑事に喧嘩売るシーンは中々に嬉しい場面。ちょっと頼りにされてるからって調子に乗んなよデクノボウが! と言わんばかりの後継者争いは、ジョンの徳の高さを証明していた。GJ。

そしてこのホフマン刑事はジョン志望後のシリーズに置いて八面六臂の大活躍をしてくれる。いやいや、お前、脅されて協力してたんじゃなかったっけ? こう思った諸兄は正しい。そうなんだよ。はじめは脅されて手伝ってただけだったのに、いつの間に自我に目覚めた? いつの間に殺人テクニック高めた? ゾルディック家で修行した? まぁ、それだけ正義を基に行われる行動には中毒性があるって事なんだと俺は解釈した。頑張って勉強したんだよな。

ソウ4 (字幕版)

ソウ5 (字幕版)

ソウ6 (字幕版)

ソウ ザ・ファイナル (字幕版)

 

蘇り続けるジョン・クレイマー

2010年にザ・ファイナルを公開し、完全に物語の幕を下ろしたかに見えた『SAW』だったが、2017年に『ジグソウ:ソウ・レガシー』で復活を遂げる。「どういうことだってばよ…」「絶対に模倣犯やん…ジョン出てこないやん…」というファンの心配をよそに、作中10年の月日を超えて復活を遂げるジョン・クレイマー。正真正銘不死身の男は更なる正義を執行するのか? …という、夢を見たんだ(大嘘)。

いや、ごめん(笑)。殺し方のバリエーションと物語の深み(あとグロさ)は見事にランクダウンしてたけど、シリーズ全部を観てる人はしっかり楽しめる内容だったよ。逆に、グロ成分かなり抑えめだったから、『SAW』一個も観てない人でもコレから観れるのかもしれない。「たぶんまた10年後とかに続くんだろうなぁ」って、シリーズを超えジャンルと化したのを確信した作品。

ジグソウ:ソウ・レガシー(字幕版)

 

まとめ

わかりやすく言おう。『SAW』シリーズは映画という媒体を用いた海外ドラマだ。全容を知ることで初めて物語の核心が分かってくる。面白さの比較対象として『ストレンジャー・シングス』とタメ張るくらいだと思ってもらって良いと思う(※当俺比)。

SAW ソウ ビリー人形風 マスク

ちなみに言うと、実は俺は『SAW』シリーズが苦手だった。ホラー好きなのに甘いこと言ってんなぁって思われても構わない。俺は血が苦手なんだ。『ジューン・ドゥの解剖』でも血にビビってたくらいの弱虫だ。

だが、『SAW』は全部観た。ひとえにストーリーが良かったのと、ジョン・クレイマーの正義感に心を打たれたからだ。見事に1人”ジグソウ”の心酔者が増えたってワケだ。きっと、俺が殺人を侵したら、この記事がニュースで流れるんだろう。『SAW』は現代の若者の心の闇を刺激した悪質な作品だってな。大丈夫、そんなことにはならない。俺は血が苦手なんだ! むしろ自分の血とか、自分の身体が痛いのは大好きだけどな!

正義を貫いたダークヒーロ―に献杯。

親しくない奴から貰うプレゼントには人生撃滅爆弾が入ってると思った方が良い

人はプレゼントというものを盲目的に好意的なモノと考える傾向がある。だけど、それって結構危険だよね。善意ともとれる行動に実は裏があるなんてことは、世の中ザラにある。それを見事にカタチにしたのが、映画『ザ・ギフト』。

ザ・ギフト (吹替版)

あらすじ

情報セキュリティ会社に勤めるサイモンは、妻ロビンとともに新しい街に引っ越してきた。仕事は順調で、ふたりは豪華な自宅を購入し、順風満帆の人生に思えた。

そんなある日、学生時代の同級生ゴードン・モズリーに出会う。そして後日、ゴードンから引越祝いとして豪華なワインが届けられた。

ロビンはワインの返礼として、彼を自宅の夕食に招いた。食事の間、ゴードンはまるで親友だったかのように語り、実は高校時代彼とはあまり親しくなかったサイモンは不快感をおぼえる。ロビンには、彼は見かけよりいい人には違いないと思えた。

後日、二人が仕事仲間のパーティーから帰ると、ゴードンから「ギフト」として、庭の池に鯉が泳いでいた…。

地獄の黙示録をギフトしてくる男

THE GIFT

そんな奴いるか? と思った俺はホラー好き失格?

あらすじからも感じる通り、終始何かがおかしい印象を受ける本作。俺の友達が『地獄の黙示録』を俺にプレゼントしてきたら割とベストフレンド認定するけどね「よくわかってんじゃん」って。そもそもなんだけどさ、人から貰った飲み物とか口に入れたくなくないですか? 毒とか入ってるかも知れないじゃん(完全に人間不信なクズの意見なので聞き流してください)。だからチョコも苦手なんだよ。

ここで俺の猜疑心に関して触れようか。基本的には性善説を提唱する俺、だが世の中には悪人も存在するってことも良く理解している。吐き気を催す邪悪なる存在が同じ世界に生きているってことをこの30年弱の人生で嫌と言うほど理解した。

わぁ~この人、本当に心の底からクッソ♪ 運悪くトラック突っ込んでこないかなぁ今すぐ コイツの横っ腹に。なんて思った事も何度もあった。でもそんなことを思うってことは俺も悪の部類に入るんだよね。心が綺麗な人はきっとこんなこと微塵も思わずに他人を信じれる。そんな天使が存在するってことも理解している。だからこそ、俺は友達を無駄に作らない。俺みたいな悪が人と関わったらきっとその人に悪影響を与えてしまう。あと俺の人間強度が下がる。これが真の性善説提唱者よ。

 

考え得る限り最悪のギフトとは?

THE GIFT

そんな俺でも自らの手で他人を貶めるようなことは出来ない(これ以上魂を汚したくないからな)。でも、こんな風に心のテトラポッドが機能してるのは、俺が甘い人生を送ってきたからなんだと思う。きっともっと他人から辛い目に合わされた人生を送ってきた人ってのは、自らの何を犠牲にしても復讐の炎に身を焦がすんだろう。そこに潤いは皆無。この映画の脚本はそういう人物もいるんだよって事にフォーカスしてる。

あと、この作品における面白い見所として、一度悪に染まった人間は死ぬまで悪ですよってことが表現されている気がした。

清く正しくあることは無理かもしれない。これはそう人類に訴えてくる作品だ。それでも、闇堕ちしないように正しく抗う人生は輝きを放ってると思うし、そう信じたいけどね。そう、お気づきかも知れないが俺は正論という鎧で自分を守る弱虫

 

まとめ

観る前は全然期待してなかったんだけど、この映画を観終わった後の胸クソ悪さは近年類を見ない。良かった。ただ、俺とは相反してスカッとする人もいるのかもしれない。こればっかりは人を選ぶと思う。というより、誰に感情移入するかで結末が変わる感じかな。

ただ、俺が一番苦手な結末だったとだけ言っておこう。

覚悟できる精神的なドMだけが観て欲しい作品。

俺はただ愚直にトロイメライ聴きながら『かくしごと』の大蛇足を待つ

久米田康治先生の作品『かくしごと』。

2020年4月からアニメ化を果たし、一気に人気が出ているであろう今作。先生の数少ないファンとして、噛めば噛むほど味が出てくるであろうこの作品の魅力を紹介したい。本記事に伏字が多いのは愛ゆえである。

 

あらすじ
隠し事は、なんですか?

ちょっと下品な漫画を描いてる漫画家の後藤可久士。一人娘の小学4年生の姫。可久士は、何においても、愛娘・姫が最優先。親バカ・可久士が娘・姫に知られたくないこと。それは……自分の仕事が「漫画家」であること。 自分の”かくしごと”が知られたら娘に嫌われるのでは!?

” 愛と笑い、ちょっと感動のファミリー劇場がはじまるーー”

 

ここにきて新境地

曰く、久米田先生が”アニメ化を目論んだ”ことであろう『行け!! 南国アイスホッケー部』(短命に終わったワケではなく、先生のベストヒット作品)。『勝手に改造』『さよなら絶望先生』と子供の頃から読んできた自分にとっては(というか他は知らない)、本作のハートフルさに新境地を感じずにはいられない。

そもそも、俺が最初に先生の作品を読んだのは『勝手に改造』からなんだけどね。その社会風刺を含んだ一話完結の服を着ないギャグの数々に、「こんな漫画が存在して良いのか」と小学生ながらに疑問を持ったのを覚えている。後に知ることになるが、この系譜は『行け!! 南国アイスホッケー部』の途中から狂人のごとく発揮された久米田先生の持ち味。『さよなら絶望先生』がアニメで人気になり認知度が一気に向上したことで、この作風にハマる人が続出した久米田節ってやつだ。やりたいことをヤリまくり”終わり良ければ全て良し”の精神に溢れた名誉ある撤退最終回を繰り返す、少年誌らしからぬ無二の作者と言える。

そんな俺からみたら、本作は異端だ。今まで学園生活モノが多かった中、家庭・仕事場という全く違うフィールドを軸にした物語展開。家族愛をテーマに据え、しかもその内容がしっかりと父と娘の愛の深さを描いているから驚きである。どうした? 久米田どうした? 遅れてやってきた悟り世代か? と初めて読んだ時は衝撃を受けた(アニメに至ってはキラキラと輝きすぎていて、一瞬、先生の作品だとわからなかったぐらいだ)。だから、あえて新境地という言葉を用いたい。

 

久米田康治節は健在

コレコレコレぇ! 過去作を見てきた人達にとって、無くてはならない要素。それが社会風刺ネタ(画像はアニメ4話「ノルマエ・ナマエ」より抜粋)。今思えば、誰もが思っていることを全国誌で大っぴらにネタにするそのブラックジョークから学んだことは多く(「ダメ絶対音感」の話とかね)。例えば『勝手に改造』では、巷で”お洒落キング”なるものが流行っていた頃、作中で”お洒落先生”なるものが若者のファッションを悪意のある目線から酷評するような表現があった。その痛快さは、さながらポスト池上彰。些か脱線するが、池上彰と言えば、2013年の参院選で公明党議員に対し「政教分離の憲法違反への言及」でお茶の間をシニカルな空気に変えた。これを週イチで行っていたのが久米田康二であると言えば、言い得て妙。同作品の鋭い切り口を受け継ぐコンテンツ、それが『かくしごと』という作品なんだ。

 

新境地の先に何を魅せてくれるのか

1話冒頭、姫が18歳になって昔の実家を訪れる。そこで父の「隠し事」が「書く仕事」だったということを初めて知るというストーリーなのだが。実はこの18歳編はしばらくナリを潜める(単行本では毎巻描かれる)。再びこの未来編が原作で動き出したのは実は最近のことで(2020年4月くらい)、それからというもの、本編としてメインに描かれてきた姫10歳~11歳の過去編と絡み合いながら、空白の時間で何があったのかがドンドン明らかになってきている。

原作はここからいよいよストーリーの核心部分に触れ、面白くなってくるところなので、期待しかない。特に打ち切り最終回への畳みかけ伏線の張り方には勝手に定評を感じているので、一体どんな形で物語をまとめてくれるのか、楽しみで仕方がないのが本音だ。家族愛がテーマなので、ハッピーエンドになるだろう。という前提がありつつ、久米田先生だったらいつも通り想像を超えたエンディングを魅せてくれるだろうと過度な期待でプレッシャーをかけたい。すごいなー漫豪さすがだなー。

 

色々と言いたい放題言ってしまったが、本作での姫の台詞の一つである「言いたいことがあったら漫画で描けよ」を自ら体現する作風が大好きなので、気になった人は暇な時に観て欲しい。

これは仮設だが、久米田先生自身に娘がいることが某漫画家のツイートで世間にバレている。もしかしたら作者自身も娘に自分の仕事を内緒にしており、これは事実に基づいた一部ノンフィクションの可能性も…?

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面白いよ。

この世界の片隅にある日本に生まれたことを俺は心から誇りに思う

日本に生まれたことに誇りを感じれる。
『この世界の片隅に』はそんな映画だ。

『この世界の片隅に』は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く

第二次世界大戦というものが記録だけの存在になり、歴史の授業で触れられるのは有名な将校と総理大臣の名前、あとは条約締結の年くらい。余程の歴オタか、意識高いガリ勉でなければ眠くなってしまうのは必至。かく言う俺も、全ての授業でうたた寝しなかったかと言えばウソになる。だが本当の意味で後世に語られるべきは、本作で描かれているような戦時下の日常ではなかったのではないだろうか。日本人なら皆どこか日常の延長のように感じれる適度なノスタルジック。これが無いと興味を持てない。10代ならなおのことだ。それが歴史の授業にはなかった。どこか遠い世界の話のように数字と人の名前を列挙しただけだった。夢の国の出来事のように。だから寝た。そう、だから、歴史の授業で寝た人間ほどこの作品を観るべきなんだよ。

舞台は呉(広島)。海には戦艦が並び、空には戦闘機が駆ける、それでも日常は流れていく。主人公のすずは嫁き先での人間関係と、慣れない土地での生活に慣れようと、悩みながらも移りゆく世界の片隅で力強く生きていく。これは自体が今の時代では決して見れない環境なんだけど、ありえない、ワケではない日常がリアル。

この作品が他の戦争映画と違って見やすい理由は、戦争が見事にエンターテイメントの一部として成立している点が挙げられる。と言うと不謹慎だと思われがちだが。俺が言いたいのは、戦争の凄惨さだけを押し付けられても普通は興味を持ちづらい(特に感受性豊かな日本人は辛いものを好まない)。日常の中にスパイスとして効かされた位だからこそ、逆にその環境での人々の苦しさや辛さが強調されている。実に秀逸。だから本作では、厳しい日常の中でも喜びを見出だして愛を育む人々が見事に描かれていた。

とはいえ、戦争の生臭さは見事にドストレートに描いてるからハラショー。空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込む。それが日常。そんな薄氷の上の日常が、ある日突然壊れた事実が現実感ある様子で描かれる。空爆で火の海になる街。吹っ飛ぶ右手。路傍で腐っていく人間。燃える家をバケツの水で濡らしている必死なすずの姿は、大人しいすずのキャラクターじゃなかったら表現できなかったと俺は思う。

「この世界で居場所はそうそう無くなりゃせんよ」

街が焼けて、右手が無くなっても、生活は続く。「いや、街が焼けて右手が無い時点でそれはもう日常ではないんですけど…」と思う。令和の時代の今はね。でも当時はそれが日常だったんだってことを、この映画を見て初めて知れた。いや、はじめて現実味を帯びて実感できた。この映画すげぇよ…。

 

「ボーっとしたまま死にたかった」

そんな地続きの日常の中で、基本的に大人しいすずが感情を露わにするのが”終戦”の瞬間。玉音放送ってヤツですね(歴史の授業で習った)。これ、戦争が終わって歓喜して泣いてるんじゃないんだよ。何でこんなに悲惨な目にあって、泣き寝入りしなくてはならないのと、行き場のない怒りと悲しみに涙が零れたんだよ。「辛かった戦いが終わったんだから、悔しがったのは役人とか兵士たちで。一般的な家庭は喜んだもんなのかな…」なんて思ってた俺はこの言い表せない気持ちを初めて学んだ。なるほど、確かに、今だから想像できるけど、何とも言えない気持ちになる。

 

「ありがとう この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

本音を言えば、日本にはもっとこういう映画が増えても良い(ジブリの『蛍の墓』・『風立ちぬ』も超良い作品だったけど、ちょっとだけドラマティックでしたね、大好きだけど)。戦争を経験した世代が少なくなっているからこそ、戦争を、忘れてはいけない史実として記録するためにも、もっと増えて欲しい。小学校の道徳の授業とかで流せば良いのに。

この世界の片隅に
※Prime Video 視聴用リンク

こんな経験を乗り越えてきた日本人として、
この世界の片隅で力強く誇りを持って生きていきたい。

人生という宇宙の飛び方を知った時、見上げた青空は涙で歪んでた。

「どうして僕は醜いの?」

皆が「良い」「泣ける」と言う『ワンダー 君は太陽』を観て思ったこと。まず結論から言おう、新しい作品だった。

始まるやいなや、宇宙服を模したフルフェイスヘルメット被った少年の自分語りがスタート。この時点で思ったね。あぁ~、顔面にコンプレックスある系か~。俺と一緒!よいちょまる!

死の。

でも、この映画を見始めてものの数分で同じようなファーストインプレッションを得た人は大勢いると思う。誰しもコンプレックスの1個や2個くらいは線引きし享受した上で日々過ごしてるからだ。ところが、本作は単なるお涙頂戴系ヘイト同情映画では決してない。

『美女と野獣』と同じプロデューサーがそんな安直なお涙頂戴展開を許すワケないだろうが。何が違うか。考えてみたんだが、他の感動映画との大きな違いとしてグランドホテル方式の物語展開という点が挙げられる。すみません、カッコ良く言いました。要するに群像劇。

虐められている人間の人生にフォーカスを当てるのが普通の映画。「虐められている側にも問題がある」という言葉は言い得て妙だと思うが、「虐めている側にも問題がある」のだ。コンプレックスと一緒で悩みの無い人生なんて無い。俺から言わせればそんなん人生じゃない。この映画は主人公であるオギー少年を主軸に、姉・姉の親友・学校で出来た初めての友達と、チェーンしながら周囲の人間に焦点を当てていく。

時には悩みを打ち明け合い、次第に心を開いていく登場人物たち。それは誰もが経験したことあるような、ありふれた悩みかもしれない。でも当事者にとっては人生に些事などない。虐められるには理由があるし、無視されるのも理由がある。その逆もまた然りだ。誰もが一度は至ったことのあるこの考えかた、本当にしっかりと考えたことある人は俺も含めていないと思う。相手の気持ちを完璧に理解することなんて不可能だから。

でも、想像することはできるハズ。 相手の気持ちを理解する。人類が群れを成して生活する生物である限り、人生の目的はコレに尽きるんじゃないかと俺は思う。思わない? なら貴方とは友達になれません。以上、解散。

「心の中を覗いたら、きっと普通の人なんていない」

ワンダー 君は太陽(吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク

相手をよく知りたかったら方法は1つ、良く見ること。