『ファースト・コンタクト』における固定観念の危険性は非常にタメになる

SFは良い。なぜなら、人類にとっての進化の可能性を投げかけてくれるからだ。『エイリアン』の様に、単純な娯楽として楽しめるモノも多いが、多くのSF映画は俺たちに様々なことを問うてくる。

あらすじ

衛星軌道上に突如として現れた謎の現象「ヴォイド」。国際的宇宙関連組織「スペースエージェンシー」による調査が開始され、ヴォイドから生命の存在を示唆する電波が発せられていることが判明する。無人機での調査によると、内側は光に包まれたトンネルになっており、その先に何かがあることまでは確認された。さらなる調査には人間を送り込む必要があるが、とても生身の人間に耐えられるミッションではない。事態が深刻化する中、組織は人工の合成ボディに優秀な人間の脳を移植する「ヒューマン2.0」を開発し、地球外生命体とのファーストコンタクトに臨むが……。映画.comより引用

 

 

未知の存在”ヴォイド”

物語冒頭から衛星軌道上に姿を現す未確認自称”ヴォイド”。「スケールでっか」と恐れおののく俺の心配なんて些細なことのように慌てふためく作中の人類。いや、俺が心配したのはこの規模の”何か”(月ぐらい?)からエイリアン来襲したら結構無理ゲーだと思ったからなんだが、俺のこの考え方すらも固定観念だったと本作を観た後に思い知らされる

無人機を飛ばしてこの現象を調査しようとするが、無人機は消失。ただ、内部はトンネル構造をしており、これがワームホールであると仮説が立てられる。なるほどね。ってことはこのワームホールから『インデ・ペンデンス・デイ』よろしく大量の宇宙船が襲来するってことね! という俺の予測も無論、愚かな固定観念だったと本作を観た後に思い知らされる

 

 

ヒューマン2.0

ワームホール内部が無人探査機では調査しきれないということで、有人での調査をしたいところだが、人間の身体では内部で耐えられないということに気付く宇宙関係者上位陣。「よし、なら機械の身体に人間の脳を移植しよう」という結論に至る。

イッキに倫理観無視し始めたけど大丈夫? この疑念は倫理的に正しい。でも俺が本作が秀逸だな…と思ったのは作中におけるこの葛藤をしっかりと描いていた点だ。全体としてドキュメンタリー調で展開していく構成ってのも良い味を出しており、このヒューマン2.0に誰を選出するかというところをじっくりと魅せてくれた(意外とここにこだわる作品は少ない…)。

結果として、2人の人類がメタルボディにモダナイズされるわけだけど。満を持して調査に臨んだにも関わらず、1人は早々に消失・もう一人は地球に帰還(機関経路不明)という一見すると惨敗に終わる。だが、半アンドロイド化された2人にはリアルタイム視覚同期機能が備わっており、記憶アーカイブを覗くことでワームホール内部での様子を地球の科学者たちも閲覧することができた。これを覗くとあら驚き、中に数年分の記憶を保存されてる。時間の流れが違うって、宇宙あるあるだよね。

 

 

迫りくる脅威

上の記憶アーカイブの中身っていうのは本作における結構大事な部分なので、気になる人は観てくれ。ということで、無事帰還した1人のヒューマン2.0。だが、地球には立て続けに新たな脅威が襲ってくる。

過去に例が無いくらいの隕石群が地球を襲うというエマージェンシー。しかも、同時に”ヴォイド”から現れた謎の雲も攻撃形態にトランスフォーム。「あ~ぁ…もう終わりや…」と嘆く人類。未曽有の危機の中で人類が観た光景と、その結末とは。

気になる人は、観よう(ふむ、我ながら良い締め方である)。

まとめ

『遊星からの物体X』や『エイリアン』、SF金字塔といえばこのあたりだが、他にも多くの作品においてUFOや未確認の自称は人類に害をなすものと思われがち。でも、そうだろうか? 高度に発達した存在Xは何も考えずに人類をブッ殺だろうか? 知的生命体同士がファースト・コンタクトする瞬間、そこには互いの利権以外にも相手に対しての魅力を求めるものではないだろうか。

本作は、どちらかと言えばヴェネチア国際映画祭でプレミア上映された『メッセージ』に近い。人類よりも高度に発達した未確認生物が人類と出会った時、人はどうしても”危機”であると捉える。だがこの考え方は旧態依然とした人類の進化を促進する可能性を潰す可能性もあり、また、救いの手を差し伸べてくれているのかもしれない相手を失望させる危険すらある。

「何事においても、自分の中で決めてかかるのは良くない」という良き好例。

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