『流転の地球』は日本が完全に中国に負けていることを如実に示していた

SFファンにとって、Netflixで後悔された『流転の地球』は衝撃でしかなかった。ハリウッドにも負けず劣らずのクオリティ・圧倒的な世界観の本作は、中国という国の勢いを現わしていると言っても過言ではない。

あらすじ

地球各地で異常気象や天変地異が起こるなか、その原因は、太陽が老化・膨張し赤色巨星化をたどるためと判明。太陽系そのものが300年ほどで消滅する危機に、世界の国々は団結して「地球連合政府」を設立。

政府は地球を太陽系外に脱出させ、2500年かけて4.2光年離れた別の星系軌道に載せる「流転の地球」計画を決定。

各地に巨大な「地球エンジン」1万基を建設し、太陽系脱出の推力とした。また連合政府は、それと並行して30年かけて巨大な国際宇宙ステーションを建設。ステーションは地球から10万キロの距離を保ち計画のナビゲートを行うこととした。

地球が太陽系から離れたことで荒廃した地表に住めなくなった人々は、政府が「地球エンジン」の地下に建設した都市に暮らし、2500年後の新天地を待ち望むのであった。流転の地球-Wikipedia


本当の意味で「宇宙船地球号」

この映画を観ると、まずスケールの大きさに圧倒される。「え、これハリウッド映画だったっけ?」と思った俺は一回視聴止めてググったくらい。こう思った要因は設定の壮大さにある。

前述のあらすじにもある通り、「地球エンジン」と呼ばれる推力によって太陽系からの脱出を試みるその様は、想像よりも圧倒される。いやいや、地球の自転止めたら停止時のGで人類吹っ飛ぶやろ…と突っ込みを入れたくなるのがSFファンの性なのだが、本作はこの点も見事に描いている。ギブスンもにっこり

重核融合エンジンは石を燃料として推進力を得ているというのだが(そんなに石あるか?とも思ったが、地殻削ってるとしたらまぁイケる)、基本的に人間は地表ではこの地球エンジンのメンテナンスと燃料集めに追われている。その地表での様子が完全に氷河期。そうだね。分かってる。自転止めただけでも太陽に背中向けた側は生命存続不可能の氷の世界になるからな(北極と南極が繋がるイメージ)。だから、本作内での人類は地下に生活拠点を移している。この無理のないSF設定には俺もにっこり

この宇宙船地球号が、予期せぬ事故によって木星の方にハンドル切っちゃって、ぶつかる死ぬどうしようってのがメイン危機のストーリー。

 

 

アメリカ様に無いアジアの価値観

ハリウッド本家の終末系ってさ、ある種ステレオタイプ化してると俺は思うんだよ。「人類滅ぶってよ!」「マジかよ!何とかしようぜ!家族を死なせる訳にはいかない!」「立ち上がれ人類ウォオオ独立記念日じゃァアア」 ←ここまでテンプレ。いや、それが王道で観ててて最高に気持ち良いんだけどさ。

でも『流転の地球』では違った。一言で言えば”東洋の価値観で観る世界の終末”だ。俺たち日本人も、古くから盛者必衰の理を”あはれ”として受け入れてきたDNAが入ってるから何となく想像できると思うんだけど。「地球終わるってよ」「マジかよどうするん?」「死に方とか考えた方が良いかなぁ」「家族が満足して死ねるならそれで良い」「命日に寝る最高のベッド買おうぜ」 と言った人々が終末が近づくにつれて出てくる。”どう生きるか”よりも”どう生きたか”の方に先に視点を合わせる。ちなみに上の会話例は完全に俺の妄想であって、作中ではもっと切迫した様子の中国人が”いとをかし”の精神で絶滅に向き合ってるから安心してくれ

アジア人って、歴史柄なのか土地への執着が強い気がするのは俺だけ? あと正常性バイアスも一定数機能するよね。皆焦ってるけど、もう諦めて楽しもうぜ。あと最後は家で死にたい、的な。対して西洋文化は、一致団結すれば怖くない思想が強い。同じ終末系というジャンルでも、この違いを見事に表現したのが本作だということ。この東洋的思想が盛り上がりポイントに上手く組み込まれてるのも◎。

流転の地球 ハン・ドゥオドゥオ
ディフォルメフィギュア

まとめ

原作者のケン・リュウ氏が明示したアジア的思想をこのクオリティで映像化できたのは今の時代とても大きい。確立された正義に正解はなく、死生観は人類それぞれということを世界に発信できた。

また、同時にこの価値観を発信したのが日本ではなく中国であるというところも大きなマークポイント(ハイここ、テスト出まーす)。本来であれば日本こそがその価値を一番理解しているハズなのに、成長しつづける中国が経済力と倫理観を示している本作を観た時に、俺はもう「日本…完全に負けちまってるな…」と思った。”発展途上国は国民のモラルが低い”と言われていた中国がここまで精神的成長を魅せつける作品を作ったとなると、立場は完全に逆転し、逆に日本人が大事にしなくなってきたものを考える機会になってきているのかもしれないとすら思える。

日本のSFにも期待したい。

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