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結論から言うと『約束のネバーランド』は本当の自由を証明する為の旅
生き様で後悔したくない人は黙って『呪術廻戦』読めば良いと思うよ
「このマンガがすごい!」って言われるべき作品それこそが『アクタージュ』
万人に勧められる漫画って、実際あんまり無いと思うんだよね。いや、あるんだけどさ。それが『アクタージュ』だ。
役者のシンデレラストーリーと言えば聞こえは良いが、少年誌ウケする設定じゃない? 馬鹿が。こと演劇漫画において、これほどジャンプに相応しい作品は存在しない。
あらすじ
しかし、その選考にかかわっていた映画監督「黒山 墨字(くろやま すみじ)」と出会い、黒山の率いる『スタジオ大黒天』に所属し、役者をめざし成長していく姿を描く。
そもそも、ジャンプで連載が始まった当初は、「どうせすぐ打ち切られるんでしょ?」という感想を抱いてしまっても不思議ではなかった。俺も思った。何故か、設定が曖昧で理解しずらかったからだ。メソッド演技[⇒ 感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行うこと]が異常に得意な夜凪が、主人公として絶対的な存在感を確立されていなかったという事にも原因の一端はあるかもしれない。でも、今思うとこれはそういう物語だったんだよ(テコ入れでそういう物語に成ったのかもしれないが)。
アクタージュ act-age 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
人間離れした女優志望の女の子
もうちょい噛み砕いて説明すると、人間業とは思えないほどの演技力を魅せる夜凪に、俺が抱いた感情は「人間っぽくないから、何か感情移入できん…」これに尽きた。初音ミクに抱く感情と極めて相似。それもそのハズ、そういう風に描かれていたからね。当初のこの設定のまま、夜凪がチート演技力で女優道を突き進む、なんてストーリーだったら俺はこうして『アクタージュ』を紹介することもなく、本誌でもすぐに打ち切られたと思う。
チート主人公の成長譚
この流れが途中で変わる。きっと読者アンケートも順位が低かったのでは…? 自分の演技では、役者として”魅せる”演技が出来ないと夜凪は気付く。ここから、この作品は真の輝きを放った。
魅力的なライバルも登場し、友情が生まれ、勝つために努力し、勝利する(= まさにジャンプの王道展開)。その中で、演技ではない自分の感情を見せるようになってくる。つまり、これは稀代の天才・夜凪景が才能に奢ることなく、人間として成長していく物語だったってことだ。
この流れに入ってからの本作はジャンプ本誌でも明らかに頭角を現す。普通に『ワンピース』『鬼滅の刃』の次に掲載されるくらいのキラーコンテンツになった(最近のWJは単純な人気だけで掲載順は決めてないみたいだけど)。
ここから先は、作中屈指のエピソード(と個人的に思っている)『銀河鉄道の夜』編にフォーカスして本作の魅力を俺なりに語りたい。
舞台「銀河鉄道の夜」編
簡単なあらすじ
憑依型カメレオン俳優との邂逅
この阿良也がまずヤバい(大好き)。マタギの役を演じる時は山籠もりして熊狩ってくる。そのくらい役作りに対して独特のプロ意識を持ってる若手実力派。
登場当初は夜凪すらも上回る圧倒的な演技力を見せるが、その秘密は役に没頭する”深さ”と観客の視点からの”伝わりやすさ”を意識している点にある。このことを共演者である夜凪にも教えて成長を促すあたり、優しい。
と、思いきやこの画像のセリフである。このコマだけ見るとサイヤ人の王子並みに高いプライド。ただ、これはそれだけ巌さんのことが大好きっていう事なんだよね。この無意識の愛 ガス 爆発、本当に好き。
というか、この舞台「銀河鉄道の夜」がダブル主人公であることにリンクして、必然的に『アクタージュ』本編も夜凪と阿良也、そしてその周囲の人物にスポットライトが当たるようになる。これが良かった。ここから加速度的に面白さ ガス 爆発した。
演出家不在の舞台本番
まさかの舞台公開初日に危篤状態になる巌さん。演出家不在の状態で初日を迎える夜凪たちだったが、逆に奮起する。この親を想う子のような劇団”天球”の面々の姿が読者にも作品への没入感を与えてくれた。
いやお前ら絶対辛いだろ…という気持ちを抱きつつも、時間は止まらず幕が上がる。「恩師のために最高の舞台を」と意気揚々に臨む役者たち。ここから本当に怒涛の演技力祭りだから! 『アクタージュ』はここからが本番。 ここから本当に面白くなったから、これから読むって人は絶対ここ(たしか単行本で6巻)まで一気に読んで欲しい。
こっからダイジェスト形式で名シーンだけ一気。
の、つもりだった(遠い目)。
冒頭にしか出演しない亀ちゃん。冒頭にしか出てこない超脇役(ジョバンニを弄るいじめっ子・ザネリ、川で溺れてカムパネルラに助けられるもカムパネルラは死ぬ)という配役ながら、演じる側にとっては主演も助演も関係ないという精神から、観客に「最高に気持ち良い」と評される名バイプレイヤーとしての演技を魅せつける。そして多くのジャンプ読者を『アクタージュ』面白れぇぞって思わせたのもこのキャラ。この亀ちゃんが本当に最高だから。彼の言葉には嘘がない、役者にとってこれほどの誉め言葉はない。
しかも舞台から下がった後の言葉がコレ。マジ格好良い。でも、そうなんだよね。まだ『銀河鉄道の夜』は序盤も序盤。劇団”天球”の主役級はジョバンニ(阿良也)しか出てない。物語的にはこれから。『アクタージュ』もここからが真の本番。ごめん亀ちゃん、俺ちょっとフライングしてたんだな。でもお前マジで最高だったぜ。
ダブル主演の面目躍如
銀河鉄道の車内でカムパネルラとジョバンニが再会する超名シーン。ちなみになんだけど、宮沢賢治の本家『銀河鉄道の夜』って読んだことありますか? 本家でもこのシーンは結構魅力的な描かれ方してて(本当はカムパネルラびしょ濡れで登場するけど)、唯一自分を虐めてなかったカムパネルラとの再会は、ジョバンニにとって唯一の安息。その時のえも言えぬ安心感と神々しさを、見事に『アクタージュ』の世界でも夜凪と阿良也が演じたってこと。
てかショートカットって!( ウィッグだけど)。ただの美少年と化した夜凪。憑依型カメレオン(♂)と憑依型カメレオン(♀)の邂逅はストーリーにのめり込ませる素敵さがあった。観客Aの舞台批評家も納得の演技。椅子だけの舞台、そこには確かに銀河鉄道に乗っている2人がいた。
てかここで一回冷静に作品について語りたいんだけど。物語の中で舞台を観てる感覚で漫画を読めるって中々に無いことだなって思う。演劇を舞台にした作品は数あれど。ここまで入り込める作品は本当に少ない(『まくむすび』も面白いぞ!)。
辛さを押し殺して演じる姿に感極まる
舞台袖で泣く七尾。この娘マジ可愛いから。人生において、役者という道に誘ってくれた恩師(巌さん)に感謝が一番深い。そう描かれる彼女の姿に、役者だって人間なんだよという気持ちを思い出させてくれる(夜凪とか、阿良也のキチガイ演技力に、役者は皆常軌を逸してると思いガチだった俺たちの心を救ってくれた天使)。
それでも舞台に上がる! そこに感動があった。絶対に恩師の想いを無駄にしたくないという気概をこの小さな身体から溢れさせるその姿。俺の目もドボドボでした。
影の主役としての覚醒
この舞台を語る上で、アキラは絶対に外せない。現実で言うと、エイベックスの社長の息子。仮面ライダーで主演やって、世間からはキャーキャー言われる一方で、”親の七光り”と世間から疎まれる。演技面では夜凪・阿良也には比肩するとは決して言い難い。彼の覚醒にこそ、この舞台の成功はかかっていると言っても過言ではない。
何が悪いってワケではないんだけど。仮面ライダーってさ、最近は本当に顔で選ばれてる感があって悲しいよね。いやカッコいいのは良いんだけどさ。ここらで一回さ、藤岡弘くらいのおじさんが蟲の仮面被ってもいいと思うんだ。って、中学の時に思った俺、クウガで止まってます。
案の定”喰われる”アキラ。そもそもお前にこの大舞台はまだ早かったんや…もう良いよ、ゴールして良いんだよ…。無難に演じてカーテンコールで泣こうぜ…。という同情も誘ってくる。なんてすごい漫画…恐ろしい子…。あ、そういえば言い忘れてたけど、俺は本作のことを現代版『ガラスの仮面』だと思ってるんで。
そして無論ここで覚醒します。これぞジャンプ。だけど、この覚醒の仕方がヤバい。なんと舞台の上で、夜凪のあまりに入り込んだ演技に、演技では太刀打ちできないどころか、受け答えすらも満足に出来ないと感じ取ったアキラは、素でカムパネルラに向き合う。
いや、ここは流石に筆舌に尽くし難い。国民的イケメンが観客に背を向けて、さながら独白のように自分の弱さを見せる(魅せる)その演技がむしろ、主役たちを輝かせる = 本来のバイプレイヤーとしての才能の開花。ここはぜひ単行本で読んで欲しい。たぶんアニメ化したら若干の省略がありそうな所だから絶対原作で。アキラ、表紙になるくらいだから。”最高にダサかった”から(嘘偽りなく誉め言葉)。
最期の別れがリンクするクライマックス
ここから最終局面。というかここからが本当の佳境。深く深く、役に潜ることで本人であるかの様に演じる夜凪と阿良也。2人の演技が役にハマればハマるほど”成りきっている”ということ。つまり、現実との境目が無くなってくる。ここからはむしろそれぞれ”どう役と折り合いをつけるか”という自分との闘いになる。
より分かりやすく言うと。ジョバンニとしてのカムパネルラとの別れ、明神阿良也としての巌さんとの別れがリンクしだす。いわば完全に役同一性障害。まぁ…ぶっちゃけこうならない方が不思議なくらいだけどね。一流の役者も、演じてる役柄によって私生活の性格変わるって言うしね。それがカンストした状態だろう。
やだ!カムパネルラどこ行っちゃうの? なんで行っちゃうの? まだ一緒に居たいよ!僕も一緒に行くよ! と間接的に溢れ出る死にゆく恩師への激情。役以前に自分の気持ちの整理がつかないと、カムパネルラとお別れをすることができない。これまで以上にジョバンニの気持ちを理解した結果、逆説的に本当の自分の感情に気が付く。この気持ちを整理することが出来なければ、この舞台を終わらせることが出来ない。ということでここから舞台を終わらせられるかどうかという、本当の最終局面に入る。
いや、言いたい気持ちをグッとこらえよう。
これも絶対に単行本で読んだ方が良いしな。
阿良也にフォーカスしすぎたけど、この阿良也を前に成長する夜凪も無論めっちゃアツい。
絶対に満足できるから読んで欲しい。
まとめ
ということで、完全に『銀河鉄道の夜』の舞台特集になった(てか画像貼りスギィ!いくつか消そうかな)。でもこれだけで漫画一つ連載できるんじゃないかってくらいの名エピソードだからね。仕方ないよね。マジ最高(ごめん俺がこの話のこと好き過ぎるだけ)。
とにかく、こんなに異質な”俳優漫画”は読んだことない。宝島社の「このマンガがすごい!」には何故か選ばれてないみたいだけど…。ジャンプの中では『呪術廻戦』ならんでネクストヒット間違いない。もう人気出てきてるって? いや、まだまだ本来の良さを評価され切ってない。これは近い将来、世間を席巻する作品だと思う。
ついに原作は大河ドラマ編に入る様子。そうだよね、やっぱり夜凪みたいな透明感ある正統派美女はNHKだよね!
自信を持って人に勧めれる漫画、それが『アクタージュ』だ。
むしろNHKでアニメ化しないかな。
国民的人気作『鬼滅の刃』を最終話まで読んだ時、強くなれる理由を知った
連載開始当初から異質な雰囲気を放っていた『鬼滅の刃』。
アニメ化が尋常じゃなくバズった結果、普段アニメに興味の無い層も巻き込んで一大ブームを起こしたことは記憶に新しい。
そんな本作が2020年5月18日発売の週刊少年ジャンプで堂々完結。ずっと好きだった作品が一区切りしたということで、満を持してその良さと、炭治郎が強くなれた理由について俺なりに語りたい。
あらすじ
炭治郎が家を空けたある日、家族は鬼に惨殺され、唯一生き残った妹・竈門禰豆子も鬼と化してしまう。禰豆子に襲われかけた炭治郎を救ったのは冨岡義勇と名乗る剣士だった。義勇は禰豆子を「退治」しようとするが、兄妹の絆が確かに残っていることに気付き剣を収める。
義勇の導きで「育手」鱗滝左近次の元を訪れた炭治郎は、禰豆子を人間に戻す方法を求め、鬼を追うため剣術の修行に身を費やす。
2年後、炭治郎は命を賭けた最終関門である選別試験を経て、「鬼殺隊」に入隊する。
正直、このあらすじ自体メチャクチャ懐かしいけど。こうして始まった物語は、大きく3つに分けられる。ここからは各編毎に成長する炭治郎のハイライトと、印象的な場面を紹介しながら物語の本質について語っていく。
竈門炭治郎立志編
アニメ一期が該当する。
自分の留守中に家族が全員惨殺されてて、妹が鬼になって混乱してたら突然現れたお兄さんに罵倒される。だから2年間修行したマン。
ザ・理不尽な運命に立ち向かう不幸な少年は、妹を救う為だけに2年も山籠もりして岩も切れるようになる。修行中には皆のパパ・鱗滝さん、錆兎、真菰に出会い、最終戦別では後に同期となる五感組との邂逅を果たす。ぶっちゃけこの序盤が一番面白いし、後の物語の中でも重要人物になるキャラがドンドン出てきた。
辛い運命の中で育まれる愛情
最終戦別から戻った炭治郎に駆け寄って抱き着く禰豆子と鱗滝さん。この時に「よく…生きて戻った」って、仮面の下で感極まって泣く鱗滝さんの姿には本当の優しさが溢れ出てた。
ここで注目したいのは、鱗滝さんの愛情だ。年端も行かない兄妹が巻き込まれた運命に心から同情して、厳しく特訓する中にも少しずつ父親のような素振りを見せるようになる。そして最終戦別から戻ってきた時のこの反応。もうパパだろう。
作中において、炭治郎の父・炭十郎が大きな意味を持ってるのはファンなら周知の事実。だが、物語開始時には既に死去しているし、序盤では回想ですら姿が描かれない。その代わりとしての役割を担っていたのが鱗滝さんだと思うんだよね。
つまりこの最序盤においては、妹の為に頑張る炭治郎の「兄妹愛」、それを支える鱗滝さんの「家族愛」が描かれていた。そう考えてみると、この作品全体の主題が見えてくる。
vs累(十二鬼月・下弦の伍)
恐怖政治で家族ごっこをしながら山に引き籠る、ちょっと歪んだ癖をお持ちの鬼との戦いを例に見てみよう。これは炭治郎にとって初めての十二鬼月との戦いでもある。下弦の伍なので、後に見るとただのザコ鬼なのだが序盤・竈門炭治郎立志編においては完全にボス級。.hackでいうスケィス、TOFにおける現代編のダオス、FF7Rにおけるセフィロスってところだ。とりあえず初撃で刀折ってくる。
炭治郎と禰豆子の慈しみ合う関係に嫉妬して、禰豆子を妹に欲するという現代なら完全に事案。だが家族愛に執着する敵の存在がここで丸々1話使って描かれるという好演出。ここまで話すともう分かると思うけど、『鬼滅の刃』という作品で説かれ続けるのは、”愛によって人は強くなれる”という事だと思ってる。この決戦で注目したいのは、歪んだ累の家族愛に対して炭治郎&禰豆子の兄妹愛が正しく勝利を収めることだ(あと、蟲柱の笑いながら毒を打ち込む狂気)。
本当の家族愛を思い出す鬼
結果で言えば、禰豆子の血鬼術”爆血”と炭治郎のヒノカミ神楽”炎舞”コンボでも倒すことは出来なかったワケだけど。アニメ19話の演出は神がかってたね。『ナルト 疾風伝』のサクラvsサソリ戦くらい動いてたし、アツかった。あと夢の中で母が出てきて鼓舞してくる演出もGJ。個人的にはこの後の20話で富岡さんに瞬殺された累の死の際、人間の時の親(自分で殺した)を思い出して謝りながら消滅していく姿に涙が止まらなかった。家族って、素晴らしいんだなぁって。『鬼滅の刃』ブームに乗っかっただけの有象無象は19話のヒノカミ神楽の演出にばかり注目して、20話はアウト・オブ・眼中だけど、この話を地上波でやったことは物凄いことだからね。アニメ一期におけるベストエピソードと言って良い。
ちなみにこの後の柱合会議もベストエピソードである(矛盾)。御屋形様が鬼滅隊員のことを「私の子」と呼ぶのもこの作品が家族愛をテーマにしてることの一端だよね。
無限列車編
父親から受け継いだヒノカミ神楽が鬼との戦いでの武器になるとして、炎柱・煉獄さんに話を聞きに行くエピソード。ここから皆の先輩、柱の面々も話に加わってくる。ストーリーが一気に加速するし、戦いも異能の嵐でド派手になるのがこの無限列車編以降。ここから先の戦いに比べれば、アニメ一期は児戯。
vs魘夢(十二鬼月・下弦の壱)
乗客200人を乗せた列車と融合して襲ってくるいきなりの規格外展開。夢の中に引き込んでその中で自害しないと目が覚めないという覚悟無き者に対してはチート能力を持つ。「どんな鬼狩りだって関係ない、人間の原動力は心だ精神だ」と精神的に心を圧し折りながら幼気な子供達を洗脳して差し向けてくる悪鬼との戦いは煉獄さんがいなかったら普通に死んでたレベル。
ちなみに、ここで煉獄は家族の夢を見る。父親が自分同様に炎柱になったが急に辞めて、弟と一緒に「頑張って生きような」っていうシーンは今思うと中々に死亡フラグ。
vs猗窩座(十二鬼月・上弦の参)一回目
煉獄さんの殉職戦。え、上弦って強杉内?と読者に印象付けるためだけの戦闘。ここでの戦闘に関しては語ることは他にない。でもこの後の煉獄さんの言葉には意味があったよね。これ以上良いこと言ってくれる先輩はいないだろうと今でも思ってる伝説の死に様だった。戦闘中の母親の回想で「強く優しい子の母になれて幸せでした」、最後は母親に「立派でしたよ」と言われながら息を引き取るのは、柱であっても同じ人間であること、その強さが家族のために鍛えられたものであるということを如実に表現していた。猗窩座についてはこの後に語るけど、上弦の壱の黒死牟の次に古い鬼という設定。そりゃ強い。そして、何を隠そう猗窩座は俺の一番好きな鬼であり、この記事で一番フィーチャーしたい鬼なんだよね。
物語はここから佳境に入ります。
vs妓夫太郎(十二鬼月・上弦の陸)
vs玉壺(十二鬼月・上弦の伍)
vs半天狗(十二鬼月・上弦の肆)
いやぁ、強かった。だが省略します。
気になる人は9巻からの原作を読むべし。
ここまでが中盤。原作内でも一番長く描かれた、鬼との死闘編と言い換えても良い。物凄くお粗末に省略したけど、それぞれの鬼との戦いと、柱たちの飛び散るパトスに本誌読者は毎週語るのが止まらなかった。俺も本当は書きたいんだよ? 決して書くのが疲れてきたワケじゃないよ? 頑張れ頑張れ! 俺はここまでよくやってきた!俺はできる奴だ!!
物語は最終局面・無限城編へ。
最終章 無限城決戦編
ここからは本当に瞬き禁止の戦いしかない。基本的には一体の鬼に対して数人の鬼狩りで攻略していくバトルロワイヤル方式になるんだけど。もうその時点で上弦の鬼たちの強さを物語ってる。一体一体がかなり長生きしてるのもあるけど、全員ラスボス級。さぁ紹介していこう。
vs獪岳(十二鬼月・新 上弦の陸)
vs童磨(十二鬼月・上弦の弐)
vs黒死牟(十二鬼月・上弦の壱)
省略します。
いや、待ってくれ、言いたいことは分かる。こいつらとの戦いは全部、省く事なんて出来ない超魅力的なエピソード揃いだ。善逸が雷の兄弟子(穴埋め上弦)と戦うのなんてクッソ胸アツだし、童磨戦とか俺超好きだからね。黒死牟戦に至っては柱クラス4人がかりというパレード、もう涙が止まらなかったさ。だが分かってくれ、ここで語りたいことは別にある。そして鳴女に至っては画像探すのすらダルい。
vs猗窩座(十二鬼月・上弦の参)二回目
キ、キター!
そう、俺が語りたいのは猗窩座なんだよ!
実は女性は絶対に食べないという紳士鬼。というかさ、原作読んでる時、この戦い…なんか長くね? って思わなかった? (この記事も大概長ぇけどな)そりゃあそうだろう。猗窩座ほど上弦で物語の主題に沿った敵はいないからな。あとアニメが人気過ぎて引き延ばされてたからな。
お気づきだっただろうか、猗窩座の技は全て生前の想い出が反映されている。「破壊殺・羅針」の陣の形、これ人間の時に妻だった恋雪が付けてた髪飾りと同じ文様なんだよね。大切な人の身に着けていたものとそっくりな陣が戦闘の最初に絶対に繰り出す技って、お前めっちゃ未練あるやん。そんな技。
技名すべて生前の想い出が由来
- 脚式「冠先割/流閃群光/飛遊星千輪」
- 砕式「万葉閃柳」
- 滅式「鬼芯八重芯」
- 終式「青銀乱残光」
全部花火の名前由来。大切な人と大切な約束をした時の背景が技名の由来って。お前めっちゃ未練あるやん。ちょっと、なんか、もう良い奴やん。さらに言うと、全身に入ってる刺青模様だけど。これにも設定がある。江戸時代は盗みを行うと刺青刑っていうのを受けたんだけどね。この刺青は病床の父親の為に薬を盗んでいた猗窩座の罪の意識が現れた結果なんだよ。そろそろ根が良い奴すぎて泣けてくる。
極めつけは名前の由来。猗窩座って名前は無惨が名付けてるんだけどね。原作155話のタイトルにもある通り「役立たずの狛犬」っていう意味が含まれている。意味は「住処を守れなかった犬」。狛犬は守るものがあって初めて存在意義がある。でも守りたかった妻を毒殺されて居場所を失った猗窩座にはもう守るべきモノが無い。だから役立たずの犬。そんな意味がある。
とっくに失っていた強くなれる理由
そのことを思い出したんだろうね。炭治郎に首を切られても克服して、さぁ~、まだまだ死闘は終わらんぞい!ってなりそうだった恐怖の場面、結局最後は自決して消えていったワケだけど、これは何でなのかって所に繋がってくる。ここで首を切られたショック&恋雪に「もうやめて」と言われたことで自分の過去を思い出す猗窩座は、自分にはもう守るべき大切な人がいないことに気付いたんだよ。自分が強くなろうとしたのは、大切な人を守るためだったという事を思い出した。だからこその自決。だからこその炭治郎への感謝。強さを求めるのは、強くないと誰も守ることが出来ないからで、だから弱者である自分が嫌いだった。もう自分には強くなる理由も、強くなれる理由もないことに気付いたってことだ。感動をありがとう…。そして『鬼滅の刃』という作品のテーマを体現した良い人生・鬼生でした。
vs鬼舞辻無惨
略。長い、強い、白髪おじさん。
気になる人は最新巻を待ちましょう。
最終話「幾星霜を煌めく命」
舞台は現代。大正時代だった本編からすると、3世代くらい後の話。そこには炭治郎とカナヲの面影ある男の子2人が明らかな主人公オーラを出している世界だった。いや、なんだこれ。「妹が罪なき人の命を奪った時は腹を切って死ね」と鱗滝さんに言われていた時を考えると、同じ作品とは思えない位のハッピーエンドじゃないか!? こんなに幸せになってて良いの? しかも我妻性で善逸と禰豆子の面影ある2人が姉弟設定だと…つまり…善逸、おまえ良かったな…。
うぉおおお!これを、これを見たかったんだ!と叫びたくなる気持ちをグッとこらえて幸せな2人を祝福しましょう。「また人間に生まれ変わったら、私のことお嫁さんにしてくれる?」の有言実行。伊黒先輩マジ格好良いっス。この定食屋あったら1日4回は通う。柱全員、死んだメンバーは(ほぼ死んだけど)幸せな未来でちゃんと転生できたようで何より。
俺はこのコマを見て泣いた。富岡さんと錆兎と真菰だと…? この話は本当にファンのために描いてくれたんだなとギャオウした。生きていれば柱になってたであろう実力者の2人、死ぬはずだった富岡さん、今度は守るべき友として人生を送れているという幸せ。そしてこの姿を見れた幸せ。感謝です。
愈史郎は唯一の鬼として生き続けているっていうのも中々に良いラストだと思った。しかも珠世さんの絵を描き続けるという狂気の愛情。それでこそ愈史郎。合法ショタ。素晴らしい。
あとさ、ラストで描かれた竈門家の様子、先祖の写真を額縁に入れて飾ってるあれ、最高だよね。みんな笑顔で。ちゃっかり村田が入ってるのも嬉しい。
というように、ファンの期待をこれでもかと裏切らず描き切った見事な最終回でした。この作品を読んでて良かったなぁと心から思えた。
まとめ
守るべき大切な人達と当たり前に一緒にいられる世界で、鬼と戦うことがない幸せな世界。もう刀を持つ必要もないし、鍛える必要もない。けど、炭治郎の面影を色濃く受け継いだ炭彦くんは人並み外れた運動神経を持ってたよね。ここが面白いなって思った。
強くなる理由のない世界で、強いという設定。それはきっと炭治郎の「大切な人をもう2度と失いたくない」強い想いが現れたんじゃないかな。鬼はいないけど、幸せな世の中だけど、危険なことはたくさんあるし、何が起きるか分からない。だから、作中ずっと抗い続けた炭治郎の想いが成就して、子孫にも受け継がれてるんじゃないかと思った次第。炭治郎が、鬼殺隊が強く在れたのはいつも「大切な人を守るため」だったから。
ということで気持ちよく読了。
まったくもって良い作品でした。
俺も強くありたい。守るために。
1人の少女を笑顔にすることの大切さを『ヒロアカ』は俺たちに教えてくれた
世の中が鬼滅鬼滅鬼滅鬼滅鬼滅鬼滅と五月蠅い昨今。あえて俺は言いたいね。『僕のヒーローアカデミア』マジでやばい、と。もちろん『鬼滅の刃』もやばいよ。でもアニメ4期の文化祭編は色々超えてきた(『鬼滅の刃』に関しても書きたいことあるのでそれは別記事で、乞うご期待)。
連載開始当初からジャンプの看板として超王道路線を突き進んできた本作。ここに来るまでも盛り上がりポイントは多々あった。というか盛り上がりポイントしか無かった。原作で読んでいる時も思ったが、八斎會編~文化祭編の流れがエモすぎる。
完結に盛り上がりポイントを羅列する。
- 耳郎響香の歌が熱い
- ラブラバの愛が重い
- エリちゃん笑顔尊い
大まかにこんな感じだろう。全部語っていたらキリが無いので、この記事では個人的に一番グッときたエリちゃんにフォーカスを当てたいと思う。
ヤクザの慰み者(語弊アリ)として、恐怖で支配され、体よく利用されてきたエリちゃん。そんな彼女を救ったのがルミリオンとデクだ。この2人のおかげでエリちゃんは劣悪な極道環境から抜け出せたワケだが、それでもヤクザ親分の圧倒的トラウマからPTSDで”笑えない”という状態にあった。(分かる、俺も昔ブラック企業で雑誌の編集してた時は笑い方を脳から抹消されてた。)
そこでタイミング良く雄英高校の文化祭。デクこれでもかと奮起。救った女の子を笑顔にするまでがヒーローの仕事だと言わんばかりのヒーロー具合。この時点で涙腺ダムに決壊の予兆があることを俺の脳内預言者は察知していた。
紆余曲折あり、文化祭当日。下の動画が非常に上手くまとめてたので是非見て欲しい。↓
もう泣くわ…こんなん…。
これは完全に蛇足なんだけど、この文化祭当日のパフォーマンス回。作者も気持ちが溢れた結果、詰め込み過ぎて間に合わなかったのか『H×H』顔負けの手書きでのジャンプ本誌掲載だったのも◎。
エリちゃんが極道から救われて、ようやく闇が祓われた時の心からの笑顔は「わあぁ!!」でしか表せないし、エリちゃんの笑顔を見て、感極まるルミリオンのボロボロの笑顔は「わあぁあ!!」でしかない。
そもそもルミリオンは、学生にしてプロアマ含めて「最もNo.1に近い」と言われていたスーパーヒーロー。それがヤクザにあんなことされて個性を失ってるのに、救った少女に対してこの献身。ここも涙腺ダムに大きな楔を打ち込んだ。
一番くじ 僕のヒーローアカデミア NEXT GENERATIONS feat.SMASH RISING D賞 figure;通形ミリオ 全1種
助けて終わりじゃないのだと。助けて、笑顔にして初めて、救ったことになる…それがヒーローなんだ。エリちゃんにとって、ルミリオントとデクはもう生涯ヒーローでしょうね。本当に羨ましい。俺もこんな可愛い幼女のヒーローになりたい(なれない)。
というワケで、暗黒面に傾きがちな俺の精神もヒロアカ文化祭編のおかげでかなり浄化されました。大切ことに気付けた気がする。『スター・ウォーズ』でルークに負けた後、マスクを取る時のダース・ベイダーもこんな心境だったんじゃないかな。
何と言っても女の子の笑顔には魔力があるよね。
原作・アニメ両方チェック派の俺は今後の展開も大好きだし、今メチャクチャ大変なことになってて全く勢い衰えてないから未チェックの人は今のうちに見とくことをお勧めする。鬼滅みたいに盛り上がってから”にわかファン”になるより、今から見といた方が良いよ。みんなが見てるから良いんじゃない。良いものは、例え誰も見てなくても良いものなんだよ。