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人形恐怖症の俺が『アナベル』に心を射止められて渡米する話

俺的最怖ホラー映画である『死霊館』シリーズ。ホラー大好きな俺でもマジで怖いと泣きながら画面に許しを請う、そんな本シリーズの現状最新作である『アナベル 死霊博物館』を視聴した。

アナベルは物理的媒体であって、コレ自体が悪霊なワケではない。そんな幻想はアナベルの可愛らしい頭突きで飴細工のようにブレイクされ、画面に向かって許しを請う29歳の独身男がここにいた。

 

あらすじ
留守番の夜、少女たちに襲いかかる悪霊の数々。
導くのは”あの人形”

超常現象研究家ウォーレン夫妻の家に、強烈な呪いを持つ一体の人形が運び込まれた。その人形の名は、アナベル。アナベルは地下の”博物館”で、他の呪われし品々とともに厳重に封印された。夫妻が仕事で家を空ける、ある日。娘のジョディは年上の少女のメアリー、ダニエラの3人で一夜を過ごすことに。しかし、ダニエ

ラが”警告 決して触るな”と書かれた博物館に勝手に入り込み、アナベルの封印を解いてしまう。

それは、少女たちの想像を絶する悪夢のはじまりとなった……。

※アナベル人形とは…
実在する呪いの人形。コネチカット州にあるウォーレン夫妻の博物館に厳重に保管されている。強い呪いを持ち、極めて危険な存在の為、現在も毎週神父が祈祷を施している。

 

新作が出るたびに深まる呪い

そもそもアナベル人形は『死霊館』に出てきた霊的媒体の一つに過ぎなくて、こんなにフィーチャーされるとは思ってなかった。ちなみに、シリーズを時系列順に並べると下記の通り。※()内の数字は公開年。

  1. 『死霊館のシスター』(2018)
  2. 『アナベル 死霊人形の誕生』(2017)
  3. 『アナベル 死霊館の人形』(2014)
  4. 『アナベル 死霊博物館』(2019)
  5. 『死霊館』(2013)
  6. 『ラ・ヨローナ ~泣く女~』(2019)
  7. 『死霊館 エンフィールド事件』(2016)

無論俺は全部観てる。『死霊館のシスター』『ラ・ヨローナ ~泣く女~』は完全なスピンオフ作品で、物語的な繋がりはありつつも独立した世界観。この2作品に関しては演出が結構違う。外堀から埋めて恐怖の袋小路に追いつめられる他作品に比べるともっと直接的な恐怖だ。路地裏歩いてたら鈍器でこめかみ殴られる感じ。これはこれで、フリスクを一箱丸々一気飲みした時みたいに気持ちの良い快感があるので、ホラー映画が好きでまだ未視聴の人はマスト失神。

アナベルが登場してからどんどん深堀りされて過去の恐怖話が膨れていってることになるんだけどね。ドンドンとその呪いが強まってる印象。むしろ『死霊館』で初出した時はメチャクチャ丸くなってたんですね姉御! なんてことすら思ってしまう(実質的な害は無かったじゃんかぁ…)。

 

アナベルを基点に暴れる歴戦の悪意

本作ではアナベル人形が悪霊の力を増大させる触媒とともに、自立した殺戮人形のように描かれる(許可なく布団の中に入ってきて良いのは俊雄くんだけだろうが…!! 但し、ニャーと囁いてくれるなら許す)。先天性の人形恐怖症である俺にとっては、手に汗握る拷問の視聴となったのは言うまでもない。とは言え、『死霊館』のあの”逃げ場無し・慈悲無し・救い無し”の圧倒的恐怖に比べれば全然顔を背けずに観れたかなって言うのが本音(単純に俺の脳の恐怖を感じる部分が壊れて来たというのはあるかもしれないが)。「このまま行けば、普通に最後まで余裕」そう思っていた俺が、ラスト30分で悪霊たちに弄ばれ、心を陵辱されたのは語るに及ばず。

 

 

ジェームズ・ワンのホラーに外れ無し

今回は監督じゃなくてプロデュースを担当してるんだけどね。『SAW』シリーズをはじめ『インシディアス』シリーズでも毎回卓越した驚かせ方をしてくれるジェームズ・ワン。彼が絡んでる作品は、観てる人の驚かせ方が本当に秀逸。「絶対ここで驚かせてくるじゃん!」って所で想像の壁を粉砕して絶対に驚かせてくれる。そこに凡百のホラーに感じるような「そう来るかぁ~」なんて悠長な感想を抱く暇はなく、「そッ…そう来ッ…ふふ、来るッか…はッァ」ってなる。最悪過呼吸から喘息になる

 

映像の作り方が上手いっていうのは当然として、音の使い方が上手いように感じるのは俺だけなんだろうか。前菜のように不安をそそるBGMで恐怖心を刺激しつつ、最怖ポイントでとびっきりのメインディッシュを心臓に直接叩きこんでくる。あとは、何よりもストーリー(脚本)がメチャクチャ良いんだよね~。俺が何で『死霊館』が一番好きかって、ホラーとして最上級の構成になってるんだけど、それ以上に「家族愛、大事!」という感動が表現されてるんだよ。なんか上手く言えないけど。そこに名作スペシャリテ足りうる味わい深さがある。観終わった後に「あぁ、観て良かったな…」と恍惚に浸れる自慰ホラー、最高だと思わないか。

 

新作にも期待しかない

今回で一旦、アナベル人形から派生した作品は小休止。でも『死霊館』の直接の系譜としてウォーレン夫妻の新作『The Conjuring: The Devil Made Me Do It』が2020年(コロナショックで2021年かな)に制作されてるし、ヴァラク(ウォーレン夫妻を殺すためならイギリスまで出張することも厭わないシスターのコスプレした悪魔)が規格外のビビらせ方をしてくる『死霊館のシスター』の系譜で2の制作が発表されてる。あと個人的には一番楽しみなんだけど、『死霊館 エンフィールド事件』に出てきた”へそ曲がり男”のスピンオフ作品『The Crooked Man』も制作中らしくて、もう本当に楽しみで仕方がないんだよ。観た過ぎるからアメリカで放送されたら渡米しようかなってぐらい。

ホラー好きは観て絶対に損しないこのシリーズ。純粋に人に勧められるのホラーってあんまり無いじゃん、ここにありますよ。

死ぬほど気乗りしないけど恋人と一緒に観るのも良いと思う。途中の怖いシーンで彼女は彼氏にくっ付けるし、視聴後の家族愛には感動待ったなし。そうそう、恋人と観るなら観るなら絶対に『死霊館のシスター』が良いですよ。

死霊館のシスター(吹替版) ※恋人と観る猛者用

目ん玉かっぽじって恐怖に慄け。

殺人犯の10人に1人は相手が好き過ぎて殺すという矛盾統計

『花とアリス 殺人事件』の、何とも言い難い名作オーラを感じつつも、つい最近まで未視聴だった俺を殴りたい。これは現代における愛憎の一例、と見せかけた友情物語だ。

史上最強の転校生、アリス。史上最強のひきこもり、花。二人が出逢ったとき、世界で一番小さな殺人事件が起こった。

石ノ森学園中学校へ転校してきた中学3年生の有栖川徹子(通称アリス/声:蒼井優)は、一年前に3年1組で起こった、「ユダが、四人のユダに殺された」というウワサを聞かされる。さらに、アリスの隣の家が<花屋敷>と呼ばれ、近隣の中学生に怖れられていることを知る。その花屋敷に住む「ハナ」ならユダについて詳しいはずだと教えられたアリスは、花屋敷に潜入する。

そこで待ち構えていたのは、不登校のクラスメイト・荒井花(通称ハナ/声:鈴木杏)だった…。

 

登場人物の軽快な会話が気持ち良い

「コラぁこの悪魔! 手羽先欲しいか? やらねぇよ~!」という仕草と発言ともに登校中にエンカウントした危険度AAAランクの男子生徒に対して「朝っぱらから鶏肉しゃぶりながら人の事罵りやがって、手前の方がよっぽど悪魔っぽいんだよコノヤロー」とアリスが言うシーン。この時俺は、この映画面白いじゃん…と確信した。ぶっちゃけこのシーンだけでも見て欲しい。西尾維新作品みたいな、登場人物の言葉のドッジボールで相手をジワジワと蔑むのが好きな人は、きっと俺みたいにココでこの作品にのめり込む。

 

次々と明かされる教室の秘密

転校してきたアリスは「1年前、教室で殺人事件があった」という眉唾の噂を耳にする。その死んだ男子生徒の座っていた席に座ったからという理由で、クラスメイトに遠巻きに避けられる流れ。調べていくとどうも「男子生徒は4人のユダに殺された」「死んだ男子生徒の名前はユダ」「ユダには妻が4人いた」と一見理解不能な暗号めいた情報だけが集まっていく。もう本当に出てくるキャラがブッ飛び気味で軽快(警戒)。そして、このサスペンス染みた展開で、どういうことだろう? と一瞬でも考えたとしたらもう最後まで観るしかない(そう、俺のように)。

 

詳細を調べようと、殺人事件のいきさつを把握しているという花の家に乗り込むアリス。ここでようやく花とアリスのゴールデンコンビが邂逅する(つまり、なんと作品全体の半分近くを消化するまで主人公の一人である花は出てこない )。

 

罵りながら深まる友情

ここからは正直、前半の導入部とは全く違う作品になる。花とアリスの一夜の大冒険編って感じ(やってることはただのストーキングとパパ活)。ユダの生死を確かめるべくユダの父親を追う2人。まず、この時の2人のすれ違いとアプローチの違いが面白い。花は理詰めで綿密な計画を立てるタイプ。アリスは行き当たりばったりだけど、その人当たりの良さから結局上手く行っちゃうタイプ。この2人が揃うことでの相乗効果が深みのある物語を生んでる。

アニメの世界にとどまらず、頭脳派タイプと行動派タイプが揃った時にお互いの良さが爆発的に向上するってのは良くある話だ。ヒーローにはサイドキックが必要だもんな。まぁ、花とアリスの場合はどっちも行動派だし、どちらも特に猪突猛進馬鹿ってワケではないのだが、要は長所の話。

 

車の下の告白

このシーンの殆どが花の語り(回想&罪の告白)で構成されてる。でもここがこの物語における謎の解答パートだ。ここで一気に全ての謎が解けていくのが最高に気持ち良い。花には最初から全部わかっていて、その上で、アリスを一日付き合わせていたというのもなんか面白い。っていうかユダの真相と最期の瞬間がかなり面白い(いや、アナフィラキシーは馬鹿にしちゃいかん! 俺もクマバチに首の動脈付近を3回ほど刺されたことあるけど、あれ本当に泡吹いて悶絶して糞尿垂れ流すからなッ)。

何よりも、ここで自分の感情を吐露する花の描写・鈴木杏の演技が絶妙なんだよ。アリスの声を当ててる蒼井優も、このシーン以降は少し敵意の無くなった声になって、感情を表に出した花に対して一気に心の距離が縮まったっていうのが表現されてる気がした。このシーンにこの映画の良さと、主題である花とアリスの全てが詰まっていると言っても決して過言ではない。この夜、ゴールデンコンビは誕生した。

 

友情のはじまり

「あたしのダチがアンタに話があるんだよ」ってアリスが言うシーン。いつのまにかダチになってる!  いいぞこういう友情物語は好きだ。一気に世界が明るくなった気がする。このセリフを聞くためにこの映画を観たんだ。

殺人事件の10%は痴情のもつれ・男女関係のトラブルで相手を殺してるって法務省のデータを見たことがあるけど、まさにそれを暗示しているかのような世界一小さい殺人事件でした。でもそれで深まる絆もあるから愛ってのは難しい(自分には愛なんてよくわからん)。

花とアリス殺人事件
※視聴用リンク

というワケで、『花とアリス 殺人事件』良い作品でした。

実は実写版は観てない(本作はロトスコープを用いたアニメ)んだけどね。そっちもファン多いからタイミングで観てみようと思う。本作で描かれた友情の始まりに対して、友情の終わりが描かれているみたいだからなおのこと楽しみ。

『としまえん』行こうって言う女は絶対に信用しちゃダメ、絶対

開始早々にモブが犠牲になる映画。それが『としまえん』。作中のニコ生実況者が早々にエスケープする時点で感じる通り、これは駄作だ。でも見てしまう。それがホラー好きってもんだ。

 

簡単なあらすじ
老舗遊園地としまえんを舞台に、都市伝説の『としまえんの呪い』を実践した仲のいい女子大生5人組が、一人ずつ姿を消していくという、元NGT48の北原里英が主演したジャパニーズホラー映画。

撮影には『としまえん』が全面協力し、実際の都市伝説の噂も背景にして怖さを演出。

 

小休止とみせかけて

正直に言おう。俺は『自殺サークル』『高速ばあば』、もしくは『ひとりかくれんぼ』と同じ類だろうと思ってこの作品を視聴した。つまり、小休止だ。ホラー映画観すぎの脳ミソのご褒美タイムとでも言えば聞こえは良いだろうか。俺的最恐ホラーは『死霊館』なんだけどね、ジェームズ・ワン監督レベルのホラーを一日に3本とか観てると脳が疲れるんだよ。「あの~!そろそろ休憩頂いても良いでしょうかァ!?」って、脳が半ギレで抗議してくる。バイトですら休ませなきゃコンプラ的にNGな昨今、脳も休ませなきゃイカン。

さぁ本題に入ろう。本作は現実にもある遊園地・としまえんを舞台にしたホラー映画だ。女子大生5人がとしまえんのお化け屋敷を訪れてからストーリーは動き出す。開始15分で取り敢えず一人餌食になるんだけどね。そこからが本番。最初餌食になった女子大生から芋づる式に蔓延していく被害の嵐。そう、『着信アリ』と似た構成だ。柴咲コウ好きの俺はここで一回当時の恐怖を想起した(ちなみに堀北真希の方が好き)。

毎回この手のJホラーを観ると、なまじストーリーが入り組んでいるモノが多く。その上、答えは視聴者に丸投げするというクリエイティビティを履き違えまくっているから厄介だ。脳を休ませることすら叶わんのかコイツらは。

 

そもそも「としまえん」と言えば

昔から「お化け屋敷」には本物が出るとホラー好きの間で噂されていた(というか、ホラー好き以外にも結構有名かも? なんかみんな知ってる気がする)。俺が知ってるだけでも火の玉が見えるとか、全自動&スタッフ無しで運営してるハズなのに”明らかに機械じゃない何か”を見たりとか。まぁ、俺は心霊スポットには行かないと心に決めているので体験してないんですけどね…。ホラーは映画だけで十分だ。

他にもミラーハウスに幼女の霊が出るとか、古い洋館(個人的にはこっちの方がヤバイ)は取り壊しようとする度に呪いが降りかかるとか、怖い噂が絶えない。それをどんな感じで映画化してくれるのかなぁと思ったらまさかの噂スポットてんこ盛りで、そこに関しては「やるな」と思ったのが本音。中々にツボを弁えておる。と、思っていたが本編全体に関してはやっぱり内容がよく頭に入ってこなかった(ちなみに作中後半クライマックスの主戦場に選ばれたのは「電気室」)。強制的に脳を休ませるため、俺は考えることをやめた。

zoom飲み翌日の二日酔いの脳ミソにとってはちょうど良かったと言える。

キタリエは可愛い。

映画『としまえん』
※この記事を読んでも観たい猛者用リンク

静かなパニックという矛盾した恐怖はヤバめのFLOWで唐突に湧き出す

トロント国際映画祭で2017年の「カナダ映画10」にも選ばれたという『飢えた侵略者』。ホラー好きにとっても楽しめる、新しいゾンビ映画の表現がここにあった(面白いとは言ってない)。

簡単なあらすじと全体の雰囲気

冒頭からゾンビが発生。ゾンビと戦う者、協力して生き抜こうとする者など、それぞれの形で新しい生活を送るカナダ人たち。主人公たち一向は過激派ではなく、基本的に逃げることを主な活動としてるんだけどね、ここがこの映画の肝。逃げることを行動の指針にしているから過度な物音を立てるのは厳禁なワケで、それがこの作品全体の雰囲気を見事に作り出してる。よくあるゾンビ映画って主戦場が市街地だから、結構ドンパチやったり騒がしいものが多いんだけど。これは作中のシーーーンとした「音、立てんなよ! 耳をすませよ!」っていう空気感で構成されてる。カナダの広大な大自然と共鳴して、雰囲気イケメンな映像。俺が一回見て理解できたのはこのくらい。

 

空間の使い方がとにかくカナダ

贅沢な構図。ただ突っ立ってこっちを見てる可愛い親子も、森との対比で妙に奇妙に見えてくるから不思議(実際かなり奇妙だが)。

 

でも襲う時は速いし煩い

え、急に!? 何でさっきまでそんなに静かだったのに、急に!? って感じで襲うときは速いし煩いというギャップ。ひと思いに襲ってくれよ!と感じる。ゴジラみてぇに叫びながら襲ってくる”静と動”の使い分けエキスパートゾンビ。たぶん球技全般で脅威の記録出せるよ。バドミントンとかおすすめです。

 

モニュメント

作中、ゾンビが謎のモニュメントをゴミで組み立てているシーンがあった。「ナニコレ」と口から出てきたのがまさに俺の正直な感想だが、モニュメント以上に気になるのは周りを取り囲んでいるゾンビさん方。何故かピーンと突っ立ってる。死んだ? あ、いや、死んでるのか。静寂と合わさって新興宗教のミサみたいな雰囲気を醸し出してる。と、思ったらヒッピーな恰好したイケメンおじいちゃんゾンビが甲高い奇声あげてこっちに向かってくる。突然。「中々に面白い表現だなぁ」と思った。怖いって言うより、何か良く分からない行動をしている人、めっちゃ怖い。っていう恐怖。森の中で全身白装束の集団に出会ったら俺だって逃げる。これはゾンビ映画の皮を被っているだけで、人間って、こんな風に動くと(動かないと)怖いでしょ? っていう新しいヒトコワとも言えるかもしれない。

 

まだまだ恐怖には先がある

俺は全然詳しくないからただの想像なんだけど、カナダってさ、こういう空気感をすごく大事にしてる気がする。土地が広いからこういう静寂そのものの恐怖を敏感に感じるのかな。

確かに、誰もいない教室とか、田舎の家で留守番してる時とか、いつもは賑やかな場所が急に静かで物音一つしないと、謎の恐怖感に襲われた経験あるもんな。

この作品はそんな子供のころの単純な恐怖を思い出させてくれたように感じる。あと、今のホラーって結構固定観念が積み重なってきてるというか、こういう面白い表現も飲み込んで行けば、世界中が恐怖する万国共通ホラー作品が生まれるんじゃないかなって思いました◎。

ホラーもっと盛り上がれ。

この世界の片隅にある日本に生まれたことを俺は心から誇りに思う

日本に生まれたことに誇りを感じれる。
『この世界の片隅に』はそんな映画だ。

『この世界の片隅に』は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く

第二次世界大戦というものが記録だけの存在になり、歴史の授業で触れられるのは有名な将校と総理大臣の名前、あとは条約締結の年くらい。余程の歴オタか、意識高いガリ勉でなければ眠くなってしまうのは必至。かく言う俺も、全ての授業でうたた寝しなかったかと言えばウソになる。だが本当の意味で後世に語られるべきは、本作で描かれているような戦時下の日常ではなかったのではないだろうか。日本人なら皆どこか日常の延長のように感じれる適度なノスタルジック。これが無いと興味を持てない。10代ならなおのことだ。それが歴史の授業にはなかった。どこか遠い世界の話のように数字と人の名前を列挙しただけだった。夢の国の出来事のように。だから寝た。そう、だから、歴史の授業で寝た人間ほどこの作品を観るべきなんだよ。

舞台は呉(広島)。海には戦艦が並び、空には戦闘機が駆ける、それでも日常は流れていく。主人公のすずは嫁き先での人間関係と、慣れない土地での生活に慣れようと、悩みながらも移りゆく世界の片隅で力強く生きていく。これは自体が今の時代では決して見れない環境なんだけど、ありえない、ワケではない日常がリアル。

この作品が他の戦争映画と違って見やすい理由は、戦争が見事にエンターテイメントの一部として成立している点が挙げられる。と言うと不謹慎だと思われがちだが。俺が言いたいのは、戦争の凄惨さだけを押し付けられても普通は興味を持ちづらい(特に感受性豊かな日本人は辛いものを好まない)。日常の中にスパイスとして効かされた位だからこそ、逆にその環境での人々の苦しさや辛さが強調されている。実に秀逸。だから本作では、厳しい日常の中でも喜びを見出だして愛を育む人々が見事に描かれていた。

とはいえ、戦争の生臭さは見事にドストレートに描いてるからハラショー。空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込む。それが日常。そんな薄氷の上の日常が、ある日突然壊れた事実が現実感ある様子で描かれる。空爆で火の海になる街。吹っ飛ぶ右手。路傍で腐っていく人間。燃える家をバケツの水で濡らしている必死なすずの姿は、大人しいすずのキャラクターじゃなかったら表現できなかったと俺は思う。

「この世界で居場所はそうそう無くなりゃせんよ」

街が焼けて、右手が無くなっても、生活は続く。「いや、街が焼けて右手が無い時点でそれはもう日常ではないんですけど…」と思う。令和の時代の今はね。でも当時はそれが日常だったんだってことを、この映画を見て初めて知れた。いや、はじめて現実味を帯びて実感できた。この映画すげぇよ…。

 

「ボーっとしたまま死にたかった」

そんな地続きの日常の中で、基本的に大人しいすずが感情を露わにするのが”終戦”の瞬間。玉音放送ってヤツですね(歴史の授業で習った)。これ、戦争が終わって歓喜して泣いてるんじゃないんだよ。何でこんなに悲惨な目にあって、泣き寝入りしなくてはならないのと、行き場のない怒りと悲しみに涙が零れたんだよ。「辛かった戦いが終わったんだから、悔しがったのは役人とか兵士たちで。一般的な家庭は喜んだもんなのかな…」なんて思ってた俺はこの言い表せない気持ちを初めて学んだ。なるほど、確かに、今だから想像できるけど、何とも言えない気持ちになる。

 

「ありがとう この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

本音を言えば、日本にはもっとこういう映画が増えても良い(ジブリの『蛍の墓』・『風立ちぬ』も超良い作品だったけど、ちょっとだけドラマティックでしたね、大好きだけど)。戦争を経験した世代が少なくなっているからこそ、戦争を、忘れてはいけない史実として記録するためにも、もっと増えて欲しい。小学校の道徳の授業とかで流せば良いのに。

この世界の片隅に
※Prime Video 視聴用リンク

こんな経験を乗り越えてきた日本人として、
この世界の片隅で力強く誇りを持って生きていきたい。

能ある殺人鬼は爪を隠しながら肝臓をソラマメと一緒に食べる

豚の群れを代表して賛辞を呈したい。

まずは、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』でそのカリスマを披露したハンニバル・レクターの気高さに拍手を。原作の時系列で言えば『レッドドラゴン』がストーリーの冒頭にあたるワケだけど。シリーズを通してその高貴な思考(嗜好)に全くの陰りは無い。もともと脇役だったレクター博士がこんなにも人気になるなんて作者も予想してなかっただろうが、『バットマン』のジョーカーに見て取れるように、信念のあるヴィランは得てして人の心を掴んで離さない。

流石、AFIの”アメリカ映画悪役TOP50”で、かのダース・ベイダーを抑えて1位に輝いた男。アンソニー・ホプキンス演じるレクター博士はそれだけ魅力的だって事。※ちなみに、ダース・ベイダーは3位、フレディは40位、俺的ベストヴィランであるジョーカーは45位。

てな具合で、レクター博士に関してはもはや有名過ぎてここでわざわざ魅力を語ることもないと思う。だから俺は『レッド・ドラゴン』について語りたいかな。ちなみに、この作品でも博士の煌めきエピソードがあった。作中、警察に自白剤を使われ、殺した学生を何処に埋めたかを尋問されたんだけどね、供述したのは人肉を食べる時の美味しいソースの作り方。わー!博士素敵…! (←俺の知人でもレクター好き女子がいるが、たぶんこんな反応する。すごい。)すごい、こわい。

「偉大なるレッド・ドラゴンを見よ」

ただ、『レッド・ドラゴン』ではみんな大好きレクター博士はそのナリを潜める。というより、開始10分で檻の中に引っ込む。そう、本作では”人食いハンニバル”ではなく、”噛みつき魔”ことレッド・ドラゴン(あだ名がダサイは禁句)が主役ヴィラン。そう、俺はこの作品も大好きなんだ。

正直、レクター博士に比べると実力不足だと思われても仕方ないと思う。(まぁ、序列第一位と比べてしまうのも可哀想かもしれないが)だが実は、全くそんなことは無い。コイツもかなりヤバい。そもそも、レクター博士が脇役として登場した作品のメイン敵。生半可なキチガイでは務まらないってことだろう。だってこの人、自分の悪口言った記者を拉致したと思ったら、背中の筋肉とドラゴンの刺青をダブル・バイセップスで見せつけ「私はドラゴンだー!」って言いながら自作ゴア写真を大型スクリーンで鑑賞させるんだよ(ダブル・バイセップスはボディビルのポージングだよ!  勉強になったね! )。挙句自分の大好きな絵画の原画見つけたら食べるからね。もうやめてあげて!世間の殺人鬼像が間違った方に進んで行く。

「君は俺を弱めた、そして苦しめた」

「だからショットガンで殺します。だって神が君を連れて行こうとするからー!」病み過ぎて本当に理解できないとこまでキマッたー!!  『TRICK』だったら仲間由紀恵も突っ込み入れないシリアスな空気感で言い放たれる愛の告白に、超低血圧の俺もつい興奮してしまう具合のサイコパス。人間でありながら神をその身に宿したと言う猟奇殺人鬼の行動は終始ヤンデレ。俺、ヤンデレって好きなんだよね。しかも筋骨隆々のヤンデレってヤバくない? 愛が肉纏って具現化した感じ。

そんな彼も最後は見事にザ・悪役を全うします。気持ちいい位に善良な悪役を演じてるから映画好きは一見の価値はあると思う。色んなサブスクで観れるから是非。

レッド・ドラゴン (吹替版)
※Prime Video 視聴用リンク

一方、レクター博士は檻の中で”噛みつき魔”と文通しながら、しっかりと事の顛末を把握しつつ、脱獄の準備を進めていたのだった。流石。→ 『羊たちの沈黙』・『ハンニバル』へ続く。

はぁ~、知的なヴィラン好きだ。

人生という宇宙の飛び方を知った時、見上げた青空は涙で歪んでた。

「どうして僕は醜いの?」

皆が「良い」「泣ける」と言う『ワンダー 君は太陽』を観て思ったこと。まず結論から言おう、新しい作品だった。

始まるやいなや、宇宙服を模したフルフェイスヘルメット被った少年の自分語りがスタート。この時点で思ったね。あぁ~、顔面にコンプレックスある系か~。俺と一緒!よいちょまる!

死の。

でも、この映画を見始めてものの数分で同じようなファーストインプレッションを得た人は大勢いると思う。誰しもコンプレックスの1個や2個くらいは線引きし享受した上で日々過ごしてるからだ。ところが、本作は単なるお涙頂戴系ヘイト同情映画では決してない。

『美女と野獣』と同じプロデューサーがそんな安直なお涙頂戴展開を許すワケないだろうが。何が違うか。考えてみたんだが、他の感動映画との大きな違いとしてグランドホテル方式の物語展開という点が挙げられる。すみません、カッコ良く言いました。要するに群像劇。

虐められている人間の人生にフォーカスを当てるのが普通の映画。「虐められている側にも問題がある」という言葉は言い得て妙だと思うが、「虐めている側にも問題がある」のだ。コンプレックスと一緒で悩みの無い人生なんて無い。俺から言わせればそんなん人生じゃない。この映画は主人公であるオギー少年を主軸に、姉・姉の親友・学校で出来た初めての友達と、チェーンしながら周囲の人間に焦点を当てていく。

時には悩みを打ち明け合い、次第に心を開いていく登場人物たち。それは誰もが経験したことあるような、ありふれた悩みかもしれない。でも当事者にとっては人生に些事などない。虐められるには理由があるし、無視されるのも理由がある。その逆もまた然りだ。誰もが一度は至ったことのあるこの考えかた、本当にしっかりと考えたことある人は俺も含めていないと思う。相手の気持ちを完璧に理解することなんて不可能だから。

でも、想像することはできるハズ。 相手の気持ちを理解する。人類が群れを成して生活する生物である限り、人生の目的はコレに尽きるんじゃないかと俺は思う。思わない? なら貴方とは友達になれません。以上、解散。

「心の中を覗いたら、きっと普通の人なんていない」

ワンダー 君は太陽(吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク

相手をよく知りたかったら方法は1つ、良く見ること。

普遍的正義について『幼女戦記』でアプローチする俺は既に闇落ちしてる

「銃を取れ!奮起せよ!」

気が付けば、地上波で興奮しながらアニメを観ていた2017年からこんなに年月が経ってしまった。忘れている人ももう多いと思うので、今一度、”ラインの悪魔”ことターニャ・デグレチャフ少佐の戦績をおさらいしておこう。「あぁ、あの幼女そんなことヤッてたなぁ…」って微笑みが零れてくるなら、諸君らは誉れ高い幼女好きだ。胸を張れ。

  • 帝国史上初の魔道大隊設立&隊長就任
  • セオリーを無視し南方ダキア首都襲撃
  • 西方前線での斬首作戦で敵司令部壊滅

ここまでの戦果で年齢は確か10歳~11歳。悪魔や…。

劇場版でも存在Xに対する憤怒の感情は全く衰えを見せず、戦場で自重することなくジェノサイドするチート幼女。また、その御力に陰りは無く、乱高下する荒ぶった金髪ポニーテールを拝めるとは光栄至極にございます。

今回は劇場版らしく、敵側である義勇軍側にもメアリーという主人公クラスの登場人物が出てくる。正義感が強く、友軍のピンチへは我先にと駆けつけたがり、ターニャとは倫理観的に絶対に友達になれないタイプ。※メアリーが上官に無謀を諫められ、唇を噛んでいる時、ターニャは首都を爆撃しながら広範囲放送で自国の国家を斉唱している。どっちが主人公か一瞬迷うレベル。

人類のため、世界のため、皆で戦うべきです!

清々しいヒーロー精神溢れるメアリーの台詞。週刊少年ジャンプだったら間違いなくコッチが主人公だろう。軍事的合理性の塊が可憐な幼女の皮を被ってるターニャとの対比で対立構造が見事に分かりやすい。だが、ターニャも決して悪ではない。

ここで今回の本題に入ろう。正義とは何だ?

過去マイケル・サンデルは、あの有名な『これからの「正義」の話をしよう』で幸福・自由・美徳の3つの観点から正義についてアプローチをした。ならば俺は『幼女戦記』からアプローチしてみたということだ。いたって真面目だよ。

例えば本作でメアリーは復讐心にその身と心を燃やし、敵を討つことが全てであり正義。そのためだったら命令無視もするし幼女にだってグーパンする。コンプラ的には、まぁ…中身オッサンですし、許しましょう。対するターニャは、理性に基づく自由意志においてその場での最善を尽くしてきた。だから敵対する奴に娘がいても殺すし、その娘も向かってきたら殺す。所属する国・組織が悩筋で頼りないからこそ、個人技で秀でる幼女は生き残るために自分の意志こそが正義。神に救いを求めるなんて持ってのほか!

そもそも、戦争においては個人が生きたいと思う事すらも正義とする大衆意識が存在する。例え相手が自分を肉親の仇として狙ってきたとしても、自分の命を守って御国に貢献するためだったら向かってくる白羽の矢は容赦なく撃ち落とせの精神だ。平時においては、不公平に感じる考え方だが、それが戦争ってもんだ。つまり国や宗教が違えば、正義は変わってくる。これはルールにおいて規定される正義の概念が単一ではないことを証明している。

一旦身近な例を用いよう。俺が昔勤めていた会社は所謂ブラック企業で、会社のトップの意思決定が全ての家族経営ワンマンカンパニーだった。「私がルールだ」と声高々に言わんばかりの(というか、言ってた)振る舞いは、組織に所属していない人からしたら嫌悪感丸出しで、馬鹿げた姿に見えると思う。だが所属している人間にとっては、その社長の一挙手一投足が全てだった。だって雇用主なんだもん…クビになったら明日からどうするの? 結果、従順な兵隊の出来上がりである。フォースは暗黒面に染まり、斬魄刀を持てば虚が身体を乗っ取ろうと仮面を被せてくる。所属組織の正義という真っ黒い旗を刺され、犯され、心がガバッガバ状態。その会社でも何人かいたのだが、この状態が長く続くと、スタンフォード監獄実験よろしく、正義に組しない受刑者を虐める看守側になろうと躍起になってくる。こうなるともうお手上げ。ヤリマンダースベイダーと俺は呼んでいた。

無論、例にもれず俺もそのペラッペラの正義に従っていたワケだけど、心の中では「コイツ(社長)がおかしいと思う心だけは忘れないようにしよう…」といつも思ってた。コレですよ。コレが、一番大事。先にも述べたように、時代・組織・環境で簡単に変わるのがソーシャルな正義的概念。ただあくまでこれは正義的な概念であって、普遍的な正義ではない。常に変わりゆくものだからこそ、自分自身で常に「これが正しいことなのだろうか?」と疑う心にこそ普遍的な正義が宿っているんだと信じたい。人間は生まれた時は善き心を持っていたのだと。あのクソ経営者を今でも地獄の底に叩き落として、釜茹でされてる姿を眺めながら芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を大声で朗読したいと思う俺の歪んだ心にも、きっと正義が宿っているのだと、信じたい(信じたい)。

以上。長くなったけど、アニメ一つでここまで考えられるってすごく道徳的な世の中じゃない? みんな絶対もっとアニメ観るべきだよ~。漫画も良いよ、大事なことは漫画から学ぶんだよ~。え、まだあの映画観てないの?おかしくない?それって変だよ~。マジ有り得ないんですけど~、ウケる~。

っていう、頭の中肥溜め人間が主張する”有り得ない”という仮初の正義っぽい圧力に染まってはならない。それはその境遇だけで正義っぽく見える何かだ。大事なのはどんな環境でも自己の中で、正義とは?正しいとは?おかしいとは?と思える心を失くさないことだ。

ちなみに本編は、歩兵大隊と機甲中隊・砲兵隊が加わって帝国初の大戦闘集団:サラマンダー戦闘団が編隊&ターニャ隊長就任されて終了。

~俺たちの戦いはまだ終わらない…!!~END。

幼女戦記 コミック 1-16巻セット

アニメ2期、待ってます。

リア充絶対殺すマンに刃向かう真性ロリコンおじさんが一周回って可愛い

「お前らみんな、俺の子供たちだ」

一線超えてきたな、ボーダーおじさん。

2003年にアメリカにて公開された本作。『13日の金曜日』も『エルム街の悪夢』も、スリラー映画の枠に収まらずに一つのジャンルとして成立しているほど人気があるのは言うまでもない。そんな映画史における二大殺人マシーンが戦うというのだからホラー・スリラー好きにとっては胸アツである。

余談だが、個人的には『ハロウィン』のブギーマン、『羊たちの沈黙』のレクター博士を加えてスリラー四天王。

RPGだったらブギーマンが一番最初に出てくる”本当に強い敵”で、物語中盤で苦戦しそうだ。やっとの思いで倒したと思ったらフレディおじさんが現れて「くっくっく…奴は四天王で最弱…」とか言ってきそう。終盤突入。夢世界の戦いを生き抜き、辿り着いた湖のある森でジェイソン登場。ボス戦の前に立ち寄った民家でレザーフェイスに襲われる展開も面白いかもしれない。そう、森はボスラッシュだ。ホラー現象と殺人鬼はだいたい森で暴れる。数々の強敵を倒し気付く、レクター博士…まさか貴方が全て…→「君の勇気を称賛するよ(ズクシッ!)、君の心臓を食べよう」ナイフを刺された状態でラストバトル開始。ボス戦後、やったー、全員殺した―!褒めてよ悟史くーん!なんて暇はない、復活するブギーマン・フレディ・ジェイソンの不死スキル持ち。空いた枠には何時の間にかペニーワイズが座っているのだった…(続編に続く 的な?

誰かこのRPG作って。

余談が過ぎました、本筋に戻ろう。

そもそも夢世界が主戦場のフレディおじさん。現実世界で受肉した状態だと、汎用人型決戦兵器ムッキムキのエヴァンゲリオンことジェイソンの相手は分が悪いのでは? そんな俺の疑問も物語中盤で吹き飛んだ。

「女は俺のもんだ!邪魔すんな!」

これだけリビドーに忠実だともはや応援したくなる。可愛い。そう、フレディには溢れんばかりの情熱があるのだ。例えアウェイだろうと一矢報いる気概と性欲を感じる。メンタルで武装したロリコンは屈強ゆえ戦力差は皆無。ここから四天王2人による人間狩猟が始まる。

ヤリたい放題である。こんなに生き生きとスプラッタしてる2人は見たことない。途中、ジェイソンが電子機器に鉈をブッ刺して感電するというファン涎垂のお茶目具合。嬉しい、これは嬉しいぞ。ジェイソンは一直線で抜けているところが可愛いんだよな。そんなこんなで現実世界で睡眠薬投入されたジェイソンはフレディのホームグラウンド夢世界へ。そう、夢世界にいる限りロリコンは無敵。

『貞子 VS 伽椰子』で生まれた名言「バケモンにはバケモンぶつけんだよ!」の精神は万国共通らしく。見事に誘導されるバケモン2人。共倒れを狙うリア充たちは夢世界で劣勢のジェイソンを応援するが、トラウマを刺激されジェイソンは昏倒してしまう(可愛い)。

ラスト20分。リア充たちの頑張りで見事に現実世界に引っ張り出されたフレディおじさんはジェイソンにこれでもかと圧倒されます(なんだこのシーソーゲーム)。さぁ面白くなって参りました~、一進一退の攻防を繰り広げるバケモンゲーム。ここでロリコンは閃く、逆転の一手を。

「魚雷発射」

勝敗の結果はご自身の目で。

フレディ VS ジェイソン [DVD] ※なんと驚愕の33円

伝説の武器≪プロパンガス≫が火を噴くぜ。

『エイリアン:コヴェナント』が示唆する人類への警鐘をしかと受け止めたい

最初の『エイリアン』が発表されたのは1979年。正直俺が生まれる10年以上も前なので、当時の現実の技術力は想像でしかないんだけど、当時この話考えた人、普段何考えてたんだ?大丈夫?リボルバーで頭打ち抜いて死んだりしてない?

SF映画の金字塔とも言える同シリーズについて、俺のような人生新参者がアレコレ語るつもりは毛頭ない(もうすぐ30歳!)。俺なんかよりもアツい想いとマニアックな知識を持った既知外はたくさんいるしね。その大役は偉大な先輩方にお譲りします。※無論、全作大好きなのは言うまでもない。大多数と同じく、俺的オススメは『エイリアン3』だ。詳細は下記YouTubeに任せる。

だから平成2年生まれの俺がここで言及したいのは、『エイリアン』シリーズの現状最新作として2017年に発表された『エイリアン:コヴェナント』が、人類の行く末に警鐘を鳴らしてんだよってこと。

ここで、某アメリカ発のカルチャー誌で見つけた面白い記事から一部を抜粋。

大手テック企業の倫理観が問われるスキャンダルが続くなか、米国ではコンピューターサイエンスを学ぶプログラムに倫理の授業を加える大学が増えている。教材は、SF作品だ。

うーん、言いえて妙。

本記事で紹介している『エイリアン:コヴェナント』では、前作である『プロメテウス』に登場したデヴィッドというアンドロイドが出てくる。コイツが、まぁ~厄介。何が厄介かと言うと、”創造性がある”ということだ。

”創造性がある”ことで、何が危険なのか。それは、人間と極めて同じように進化する可能性があるってことだと俺は思う。作中でもデヴィッド自身が語っていたが、人類の祖先、洞窟で暮らしていた猿人類は植物を加工して音を鳴らし始める。自分の子供をリラックスさせて円滑な生活を送るためだ(諸説アリ)。この瞬間、文化が生まれた。

まるで人類よろしく、デヴィッドが笛を吹くシーンがある。しかもメチャクチャ楽しそうに。 「俺、人類と同じことして楽しんでるよ」みたいに。その姿を観た俺は謎の恐怖を感じた。そう、完全に”不気味の谷”だよ。むしろ谷底深すぎてメイド・イン・アビスだよ。俺、人間、そんな思い上がりも湧き出てきちゃうよ。

ダメだ。YouTubeで色々調べてたらエンジニアとか黒い粉とかフェイスハガー登場したの嬉しいとか色々書きたくなってきた。だがしかし長いだけの文は駄文を信条としている俺、まとめろ、まとめるんだ。

やっぱり、アンドロイドは人間に寄せちゃダメだと思う。ダメではないんだけど、それはもう人類根絶が確定した時の最終手段というか。人類が終わりに向かっていると考えると、アンドロイドに創造性を持たせることが決定打になるんしゃないかな。デヴィッドだって、「人間?そんな愚かな奴ら滅んじまえば良いんだ!」ってこの人類浄化計画を実行したワケだしね。

ちなみに本作のとても印象的なシーンとして、ワーグナーの”ヴァルハラ城への神々の入城”がBGMとして流れる。このシーンを見た時に俺は思ったね。これを見た未来の天才エンジニア達よ、アンドロイド作るのは良いけど、性格設定は程々にな! この作品みて学ぼうな! と。

まぁ、観た人よって色々な解釈があると思います。俺はひねくれて居るので、エイリアンに興奮しつつもアンドロイドの方に視点が合っちゃった次第。

エイリアン:コヴェナント (吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク

ネットで色々見てたらどうも続編も制作中らしい。時系列的に『エイリアン1』のノストロモ号に繋がると思うから、首を長くして待ってます。