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『SAW』シリーズ屈指の犯人”ジグソウ”は人類の敵ではなくダークヒーロー
親しくない奴から貰うプレゼントには人生撃滅爆弾が入ってると思った方が良い
人はプレゼントというものを盲目的に好意的なモノと考える傾向がある。だけど、それって結構危険だよね。善意ともとれる行動に実は裏があるなんてことは、世の中ザラにある。それを見事にカタチにしたのが、映画『ザ・ギフト』。
あらすじ
そんなある日、学生時代の同級生ゴードン・モズリーに出会う。そして後日、ゴードンから引越祝いとして豪華なワインが届けられた。
ロビンはワインの返礼として、彼を自宅の夕食に招いた。食事の間、ゴードンはまるで親友だったかのように語り、実は高校時代彼とはあまり親しくなかったサイモンは不快感をおぼえる。ロビンには、彼は見かけよりいい人には違いないと思えた。
後日、二人が仕事仲間のパーティーから帰ると、ゴードンから「ギフト」として、庭の池に鯉が泳いでいた…。
地獄の黙示録をギフトしてくる男
そんな奴いるか? と思った俺はホラー好き失格?
あらすじからも感じる通り、終始何かがおかしい印象を受ける本作。俺の友達が『地獄の黙示録』を俺にプレゼントしてきたら割とベストフレンド認定するけどね「よくわかってんじゃん」って。そもそもなんだけどさ、人から貰った飲み物とか口に入れたくなくないですか? 毒とか入ってるかも知れないじゃん(完全に人間不信なクズの意見なので聞き流してください)。だからチョコも苦手なんだよ。
ここで俺の猜疑心に関して触れようか。基本的には性善説を提唱する俺、だが世の中には悪人も存在するってことも良く理解している。吐き気を催す邪悪なる存在が同じ世界に生きているってことをこの30年弱の人生で嫌と言うほど理解した。
わぁ~この人、本当に心の底からクッソ♪ 運悪くトラック突っ込んでこないかなぁ今すぐ コイツの横っ腹に。なんて思った事も何度もあった。でもそんなことを思うってことは俺も悪の部類に入るんだよね。心が綺麗な人はきっとこんなこと微塵も思わずに他人を信じれる。そんな天使が存在するってことも理解している。だからこそ、俺は友達を無駄に作らない。俺みたいな悪が人と関わったらきっとその人に悪影響を与えてしまう。あと俺の人間強度が下がる。これが真の性善説提唱者よ。
考え得る限り最悪のギフトとは?
そんな俺でも自らの手で他人を貶めるようなことは出来ない(これ以上魂を汚したくないからな)。でも、こんな風に心のテトラポッドが機能してるのは、俺が甘い人生を送ってきたからなんだと思う。きっともっと他人から辛い目に合わされた人生を送ってきた人ってのは、自らの何を犠牲にしても復讐の炎に身を焦がすんだろう。そこに潤いは皆無。この映画の脚本はそういう人物もいるんだよって事にフォーカスしてる。
あと、この作品における面白い見所として、一度悪に染まった人間は死ぬまで悪ですよってことが表現されている気がした。
清く正しくあることは無理かもしれない。これはそう人類に訴えてくる作品だ。それでも、闇堕ちしないように正しく抗う人生は輝きを放ってると思うし、そう信じたいけどね。そう、お気づきかも知れないが俺は正論という鎧で自分を守る弱虫。
まとめ
観る前は全然期待してなかったんだけど、この映画を観終わった後の胸クソ悪さは近年類を見ない。良かった。ただ、俺とは相反してスカッとする人もいるのかもしれない。こればっかりは人を選ぶと思う。というより、誰に感情移入するかで結末が変わる感じかな。
ただ、俺が一番苦手な結末だったとだけ言っておこう。
覚悟できる精神的なドMだけが観て欲しい作品。
俺はただ愚直にトロイメライ聴きながら『かくしごと』の大蛇足を待つ
久米田康治先生の作品『かくしごと』。
2020年4月からアニメ化を果たし、一気に人気が出ているであろう今作。先生の数少ないファンとして、噛めば噛むほど味が出てくるであろうこの作品の魅力を紹介したい。本記事に伏字が多いのは愛ゆえである。
ちょっと下品な漫画を描いてる漫画家の後藤可久士。一人娘の小学4年生の姫。可久士は、何においても、愛娘・姫が最優先。親バカ・可久士が娘・姫に知られたくないこと。それは……自分の仕事が「漫画家」であること。 自分の”かくしごと”が知られたら娘に嫌われるのでは!?
” 愛と笑い、ちょっと感動のファミリー劇場がはじまるーー”
曰く、久米田先生が”アニメ化を目論んだ”ことであろう『行け!! 南国アイスホッケー部』(短命に終わったワケではなく、先生のベストヒット作品)。『勝手に改造』『さよなら絶望先生』と子供の頃から読んできた自分にとっては(というか他は知らない)、本作のハートフルさに新境地を感じずにはいられない。
そもそも、俺が最初に先生の作品を読んだのは『勝手に改造』からなんだけどね。その社会風刺を含んだ一話完結の服を着ないギャグの数々に、「こんな漫画が存在して良いのか」と小学生ながらに疑問を持ったのを覚えている。後に知ることになるが、この系譜は『行け!! 南国アイスホッケー部』の途中から狂人のごとく発揮された久米田先生の持ち味。『さよなら絶望先生』がアニメで人気になり認知度が一気に向上したことで、この作風にハマる人が続出した久米田節ってやつだ。やりたいことをヤリまくり”終わり良ければ全て良し”の精神に溢れた名誉ある撤退最終回を繰り返す、少年誌らしからぬ無二の作者と言える。
そんな俺からみたら、本作は異端だ。今まで学園生活モノが多かった中、家庭・仕事場という全く違うフィールドを軸にした物語展開。家族愛をテーマに据え、しかもその内容がしっかりと父と娘の愛の深さを描いているから驚きである。どうした? 久米田どうした? 遅れてやってきた悟り世代か? と初めて読んだ時は衝撃を受けた(アニメに至ってはキラキラと輝きすぎていて、一瞬、先生の作品だとわからなかったぐらいだ)。だから、あえて新境地という言葉を用いたい。
コレコレコレぇ! 過去作を見てきた人達にとって、無くてはならない要素。それが社会風刺ネタ(画像はアニメ4話「ノルマエ・ナマエ」より抜粋)。今思えば、誰もが思っていることを全国誌で大っぴらにネタにするそのブラックジョークから学んだことは多く(「ダメ絶対音感」の話とかね)。例えば『勝手に改造』では、巷で”お洒落キング”なるものが流行っていた頃、作中で”お洒落先生”なるものが若者のファッションを悪意のある目線から酷評するような表現があった。その痛快さは、さながらポスト池上彰。些か脱線するが、池上彰と言えば、2013年の参院選で公明党議員に対し「政教分離の憲法違反への言及」でお茶の間をシニカルな空気に変えた。これを週イチで行っていたのが久米田康二であると言えば、言い得て妙。同作品の鋭い切り口を受け継ぐコンテンツ、それが『かくしごと』という作品なんだ。
1話冒頭、姫が18歳になって昔の実家を訪れる。そこで父の「隠し事」が「書く仕事」だったということを初めて知るというストーリーなのだが。実はこの18歳編はしばらくナリを潜める(単行本では毎巻描かれる)。再びこの未来編が原作で動き出したのは実は最近のことで(2020年4月くらい)、それからというもの、本編としてメインに描かれてきた姫10歳~11歳の過去編と絡み合いながら、空白の時間で何があったのかがドンドン明らかになってきている。
原作はここからいよいよストーリーの核心部分に触れ、面白くなってくるところなので、期待しかない。特に打ち切り最終回への畳みかけ伏線の張り方には勝手に定評を感じているので、一体どんな形で物語をまとめてくれるのか、楽しみで仕方がないのが本音だ。家族愛がテーマなので、ハッピーエンドになるだろう。という前提がありつつ、久米田先生だったらいつも通り想像を超えたエンディングを魅せてくれるだろうと過度な期待でプレッシャーをかけたい。すごいなー漫豪さすがだなー。
色々と言いたい放題言ってしまったが、本作での姫の台詞の一つである「言いたいことがあったら漫画で描けよ」を自ら体現する作風が大好きなので、気になった人は暇な時に観て欲しい。
これは仮設だが、久米田先生自身に娘がいることが某漫画家のツイートで世間にバレている。もしかしたら作者自身も娘に自分の仕事を内緒にしており、これは事実に基づいた一部ノンフィクションの可能性も…?
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面白いよ。
この世界の片隅にある日本に生まれたことを俺は心から誇りに思う
日本に生まれたことに誇りを感じれる。
『この世界の片隅に』はそんな映画だ。
第二次世界大戦というものが記録だけの存在になり、歴史の授業で触れられるのは有名な将校と総理大臣の名前、あとは条約締結の年くらい。余程の歴オタか、意識高いガリ勉でなければ眠くなってしまうのは必至。かく言う俺も、全ての授業でうたた寝しなかったかと言えばウソになる。だが本当の意味で後世に語られるべきは、本作で描かれているような戦時下の日常ではなかったのではないだろうか。日本人なら皆どこか日常の延長のように感じれる適度なノスタルジック。これが無いと興味を持てない。10代ならなおのことだ。それが歴史の授業にはなかった。どこか遠い世界の話のように数字と人の名前を列挙しただけだった。夢の国の出来事のように。だから寝た。そう、だから、歴史の授業で寝た人間ほどこの作品を観るべきなんだよ。
舞台は呉(広島)。海には戦艦が並び、空には戦闘機が駆ける、それでも日常は流れていく。主人公のすずは嫁き先での人間関係と、慣れない土地での生活に慣れようと、悩みながらも移りゆく世界の片隅で力強く生きていく。これは自体が今の時代では決して見れない環境なんだけど、ありえない、ワケではない日常がリアル。
この作品が他の戦争映画と違って見やすい理由は、戦争が見事にエンターテイメントの一部として成立している点が挙げられる。と言うと不謹慎だと思われがちだが。俺が言いたいのは、戦争の凄惨さだけを押し付けられても普通は興味を持ちづらい(特に感受性豊かな日本人は辛いものを好まない)。日常の中にスパイスとして効かされた位だからこそ、逆にその環境での人々の苦しさや辛さが強調されている。実に秀逸。だから本作では、厳しい日常の中でも喜びを見出だして愛を育む人々が見事に描かれていた。
とはいえ、戦争の生臭さは見事にドストレートに描いてるからハラショー。空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込む。それが日常。そんな薄氷の上の日常が、ある日突然壊れた事実が現実感ある様子で描かれる。空爆で火の海になる街。吹っ飛ぶ右手。路傍で腐っていく人間。燃える家をバケツの水で濡らしている必死なすずの姿は、大人しいすずのキャラクターじゃなかったら表現できなかったと俺は思う。
街が焼けて、右手が無くなっても、生活は続く。「いや、街が焼けて右手が無い時点でそれはもう日常ではないんですけど…」と思う。令和の時代の今はね。でも当時はそれが日常だったんだってことを、この映画を見て初めて知れた。いや、はじめて現実味を帯びて実感できた。この映画すげぇよ…。
そんな地続きの日常の中で、基本的に大人しいすずが感情を露わにするのが”終戦”の瞬間。玉音放送ってヤツですね(歴史の授業で習った)。これ、戦争が終わって歓喜して泣いてるんじゃないんだよ。何でこんなに悲惨な目にあって、泣き寝入りしなくてはならないのと、行き場のない怒りと悲しみに涙が零れたんだよ。「辛かった戦いが終わったんだから、悔しがったのは役人とか兵士たちで。一般的な家庭は喜んだもんなのかな…」なんて思ってた俺はこの言い表せない気持ちを初めて学んだ。なるほど、確かに、今だから想像できるけど、何とも言えない気持ちになる。
本音を言えば、日本にはもっとこういう映画が増えても良い(ジブリの『蛍の墓』・『風立ちぬ』も超良い作品だったけど、ちょっとだけドラマティックでしたね、大好きだけど)。戦争を経験した世代が少なくなっているからこそ、戦争を、忘れてはいけない史実として記録するためにも、もっと増えて欲しい。小学校の道徳の授業とかで流せば良いのに。
こんな経験を乗り越えてきた日本人として、
この世界の片隅で力強く誇りを持って生きていきたい。
人生という宇宙の飛び方を知った時、見上げた青空は涙で歪んでた。
皆が「良い」「泣ける」と言う『ワンダー 君は太陽』を観て思ったこと。まず結論から言おう、新しい作品だった。
始まるやいなや、宇宙服を模したフルフェイスヘルメット被った少年の自分語りがスタート。この時点で思ったね。あぁ~、顔面にコンプレックスある系か~。俺と一緒!よいちょまる!
死の。
でも、この映画を見始めてものの数分で同じようなファーストインプレッションを得た人は大勢いると思う。誰しもコンプレックスの1個や2個くらいは線引きし享受した上で日々過ごしてるからだ。ところが、本作は単なるお涙頂戴系ヘイト同情映画では決してない。
『美女と野獣』と同じプロデューサーがそんな安直なお涙頂戴展開を許すワケないだろうが。何が違うか。考えてみたんだが、他の感動映画との大きな違いとしてグランドホテル方式の物語展開という点が挙げられる。すみません、カッコ良く言いました。要するに群像劇。
虐められている人間の人生にフォーカスを当てるのが普通の映画。「虐められている側にも問題がある」という言葉は言い得て妙だと思うが、「虐めている側にも問題がある」のだ。コンプレックスと一緒で悩みの無い人生なんて無い。俺から言わせればそんなん人生じゃない。この映画は主人公であるオギー少年を主軸に、姉・姉の親友・学校で出来た初めての友達と、チェーンしながら周囲の人間に焦点を当てていく。
時には悩みを打ち明け合い、次第に心を開いていく登場人物たち。それは誰もが経験したことあるような、ありふれた悩みかもしれない。でも当事者にとっては人生に些事などない。虐められるには理由があるし、無視されるのも理由がある。その逆もまた然りだ。誰もが一度は至ったことのあるこの考えかた、本当にしっかりと考えたことある人は俺も含めていないと思う。相手の気持ちを完璧に理解することなんて不可能だから。
でも、想像することはできるハズ。 相手の気持ちを理解する。人類が群れを成して生活する生物である限り、人生の目的はコレに尽きるんじゃないかと俺は思う。思わない? なら貴方とは友達になれません。以上、解散。
ワンダー 君は太陽(吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク
相手をよく知りたかったら方法は1つ、良く見ること。