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『メイド・イン・アビス』こそが低迷する地上波に射し込む黎明

ファンタジー × 子供 = 胸躍る冒険

児童書に出てくる愛くるしい少年少女が、注射器の海に潜っていくような物語。満を持して、『メイド・イン・アビス』という大好きな作品のことを語りろうと思う。

人類最後の秘境と呼ばれる、未だ底知れぬ巨大な縦穴「アビス」。その大穴の縁に作られた街には、アビスの探検を担う「探窟家」たちが暮らしていた。彼らは命がけの危険と引き換えに、日々の糧や超常の「遺物」、そして未知へのロマンを求め、今日も奈落に挑み続けている。

ヒロインのリコは孤児院で暮らす探窟家見習い。アビスへの憧れが人一倍強い彼女は、母のような偉大な探窟家になることを夢見ていた。ある日の探窟で、リコは謎の存在に生命の危機を救われる。その何者かが放った熱線の跡を辿ると、そこには人間の少年そっくりのロボットが倒れていた。

リコはロボットにレグという名前を付け、孤児院の大人達の目を欺きながら、共に過ごすようになる。 レグが孤児院に入って2カ月が経つ頃、リコの母親であるライザの白笛と封書が地上に上がってくる。封書には、誰も見たことがない深層の生物の情報と「奈落の底で待つ」と書かれた紙が同封されており、その中にはレグに似たロボットのような絵も描かれていた。

ライザの封書を読んだ2人は、アビスの深層を目指すこととなる。リコは母親に会うために、レグは自分が何者なのか知るために…

もう設定からしてロマンしかない。冒険をする作品は数あれど、穴に潜っていく設定は何故か心をくすぐる。『放課後!ダンジョン高校』も似た設定だったが、あれは高校生活が中心だった。アビスはファンタジーに全振りという思い切った設定が◎。しかも可愛い子供の冒険、そりゃもう胸躍るってもんでしょう。

可愛い、とにかく可愛い。

ここで一つ名言しておこう。深界一層~四層までは死体を弄ぶ化物に襲われたり、リコの母親の師匠である不動卿こと”動かざるオーゼン”に出会って肉体・精神ともに虐められたりと、波乱が万丈しているものの、順調な滑り出しだ。読者並びにアニメ視聴者は、このまま多少の苦難を乗り越えながらも、リコが母親に出会い、レグは自分が何者なのかを知っていくだろうとタカをくくっていた。

そう、本番はここから先だ。

 

ファンタジー × 冒険 = 胸躍る冒険
(心拍数的な意味で)

いったい何があった!? 大丈夫? なんかストレス溜まってない? と原作者つくしあきひと先生を思わず心配したのは俺だけではないハズ。順調に歩を進めていた幼気な少女の目からドス黒い血を噴出させ、挙句「きり…おとして…」だと? どうすれば良い?どうすれば君を助けられる? レグは見事に俺の気持ちを代弁してくれたよ。冒険と言うものが夢に溢れた綺麗ごとだけではないことはわかったよ。だからこの状況を打破する方法を教えてくれ! な展開。そう、これが『メイド・イン・アビス』。

※この後、マジで少女の腕を切り落とそうと試みるレグ少年の突貫オペが披露される。→皆大好きナナチの登場(可愛い、とにかく可愛い)。

今思えば、オーゼンの顔芸からホラー要素が追加されていた(リコの母親のライザから結婚を報告された瞬間より抜粋、。ここ、作中では笑うところですよ)。この時、俺たちは気付くべきだった…ここから先は人間じゃなくなった者しか踏み入れられない世界が広がっているということに…。

ちなみに、今のところ明らかになってる探窟のエキスパート・白笛(人類最高峰に度し難い人格の面々)は、殲滅卿・不動卿・黎明卿・神秘卿・先導卿の5人。かつ原作でも登場しているのは不動卿と黎明卿の2人だけ。わかるだろうか? まだ2人しか登場してないんだ。殲滅卿はリコの母親だから友好的(であって欲しい頼むから)ということを考慮しても、クレイジーメンがあと2人残っている。全く持って恐ろしい。ロアナプラ出身でも出会ったら小便漏らして逃げるレベルのX-MENがあと2人だ。

何故、俺がこんなにビビっているのか。
それは上記にも挙げた黎明卿に原因がある。

お待たせしました。前置きは終了。
ここからアビスの深淵部分が具現化したと言っても過言ではない、みんな大好き黎明卿ことボンドルドを紹介していきたいと思う。

 

黎明卿:新しきボンドルド

アビスの全てを解き明かすべく、「前線基地(イドフロント)」にて研究に励む科学者。

劇中においては「大規模な虫害の未然防止」「それまで不可侵だったルートの開拓」「アビス深層での活動拠点の確保」「新薬の開発」そして「上昇負荷の克服手段を発見」などなど前代未聞の偉業をいくつも成し遂げており、人類のアビス攻略を一気に推し進めた正真正銘の偉人と言える。

彼自身その業績にあぐらをかくような性格ではなく、むしろ物腰のやわらかい子ども好きな博愛主義者。 現在までに登場した「白笛」の中では最も温厚な人物である。

おやおや、おやおやおやおやおや。温厚な人物なんて言い回し、可愛いですね、ウィキペディアさん。確かにボンドルドは誰に対しても紳士的な口調で、性格も基本的には温厚。しかも愛についても素晴らしい考えを有している。でも彼のクレイジーさはアビスの謎の探求という一点に対しての溢れんばかりの情熱にある。この情熱の前では世間一般の倫理観は月の裏側くらいまで吹っ飛ぶ。

「愛です。愛ですよ」を口癖に、より良い発明をするため、そして「アビスの夜明け」を見るためなら見知らぬ孤児も家族にするし、無償の愛を注ぐ。そして夜明けを見るため(夜明けとは)だったら、その家族の肉と皮を剥いで箱に詰め込んで身代わりに死んでもらう。だって家族ですからね。

皆大好きナナチもこの混乱具合(可愛いですね ナナチ)。それもそのハズ。ナナチ自身もボンドルドに拾われて大切に育てられた。だから多少なりとも(少なくとも途中までは)恩義を感じていたんだろうし、言うことを聞いていた。彼の「可愛いですね」に他意はなく、本当に心の底から家族として可愛いと思っているからこそ出てくる発言なのだが、本当に可愛いと思っている家族(と、その親友)すらも悪気なく、文字通りグッチャングチャンになるまで切り刻んで、実験して、廃棄するのが黎明卿の凄いところ。でも、そんなボンドルドにも可愛い可愛い一人娘がいた。

この記事のアイキャッチでも出ているが、リコと手を繋いでいる女の子、それがボンドルドの娘であるプルシュカだ。いや、もう、本当に良い子。多少世間知らずなところはありつつも、登場時には歳の近いリコとレグに対して仲良くなりたいと純真無垢な感情を向けてくる。そしてお父さん(ボン)のことが大好き。奈落の底に…オアシスがあったよ。きっと年齢的にリコ・レグ・ナナチと一緒に四人目のパーティメンバーとして冒険に加わるんですね。可愛い女の子3人に囲まれて旅ができるなんて、レグはプレイボーイだな! おじさん羨ましいぞ!

そんな夢を見る暇もなかった。

メヤァアァァ~!? プルシュカが箱詰めにされて何か体液零しちゃってるよ。どうしてこうなった? 夜明けのためです。以上。

自分自身に対して本当の意味で好意を持ってくれた(=完成した)ら、10年以上一緒にいた愛娘すらもコレ。でも大丈夫、夜明けへの礎となれたのですから。いや、どんな理屈? サイコパスって言葉すら生温いボンドルドの精神性に、読者の大半は畏怖というより畏敬の念を持ったことでしょうよ。こいつが根っからの悪人なら良かったよ(いや悪人ではあるが)、なまじ愛を持ってるから厄介であり、皆が大好きな狂人足りうる。それが黎明卿:ボンドルド。お判りいただけただろうか? その度し難さ。

※これは完全な余談だが、リコとプルシュカが”レグのちんちん”について話す極めて和みシーンがあるんだけどね。世間知らずのプルシュカは「ちんちんって何?」と、リコに聞くんだよ。「普段はこういう感じの…んで、レグがおっぱい見たりナナチを触ったりしてると…」と、絵を描いて説明するリコに対して「ああ!パパ棒のことか!」と反応するプルシュカ。おや?おやおやおやおやおやおや。なんでそこでパパ棒を連想した? 偉大な黎明卿が実験と称して家族の絆を深めすぎていなかったことを願うばかりである。

というワケで、色々と規格外な白笛。
その一端でしかない黎明卿のハイライトをお送りしました。

メイドインアビス
ペンダントトップコレクション 黎明卿の白笛

メイドインアビス コミック 1-8巻セット
※イッキ読みしたいドM猛者用

 

「旅路の果てに何を選び取り終わるのか」

本当は作品に出てきた印象的なシーンについて、一つ一つ詳細な感想を語ろうと思ってたんだけど(特に、原作8巻の内容。良いよね!吐き気がするくらい!)。黎明卿がキャッチー過ぎて黎明卿特集になってしまった感ある。また9巻が発売されたくらいに書こうと思うので、それまでは既刊を読み返しながら映画のボン見て待とうかな、と。

リコ・レグ・ナナチ、そしてプルシュカの旅路がこれからも醜悪で悪夢のような混沌であっても、強く進んで行くことを願って。

この世界の片隅にある日本に生まれたことを俺は心から誇りに思う

日本に生まれたことに誇りを感じれる。
『この世界の片隅に』はそんな映画だ。

『この世界の片隅に』は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く

第二次世界大戦というものが記録だけの存在になり、歴史の授業で触れられるのは有名な将校と総理大臣の名前、あとは条約締結の年くらい。余程の歴オタか、意識高いガリ勉でなければ眠くなってしまうのは必至。かく言う俺も、全ての授業でうたた寝しなかったかと言えばウソになる。だが本当の意味で後世に語られるべきは、本作で描かれているような戦時下の日常ではなかったのではないだろうか。日本人なら皆どこか日常の延長のように感じれる適度なノスタルジック。これが無いと興味を持てない。10代ならなおのことだ。それが歴史の授業にはなかった。どこか遠い世界の話のように数字と人の名前を列挙しただけだった。夢の国の出来事のように。だから寝た。そう、だから、歴史の授業で寝た人間ほどこの作品を観るべきなんだよ。

舞台は呉(広島)。海には戦艦が並び、空には戦闘機が駆ける、それでも日常は流れていく。主人公のすずは嫁き先での人間関係と、慣れない土地での生活に慣れようと、悩みながらも移りゆく世界の片隅で力強く生きていく。これは自体が今の時代では決して見れない環境なんだけど、ありえない、ワケではない日常がリアル。

この作品が他の戦争映画と違って見やすい理由は、戦争が見事にエンターテイメントの一部として成立している点が挙げられる。と言うと不謹慎だと思われがちだが。俺が言いたいのは、戦争の凄惨さだけを押し付けられても普通は興味を持ちづらい(特に感受性豊かな日本人は辛いものを好まない)。日常の中にスパイスとして効かされた位だからこそ、逆にその環境での人々の苦しさや辛さが強調されている。実に秀逸。だから本作では、厳しい日常の中でも喜びを見出だして愛を育む人々が見事に描かれていた。

とはいえ、戦争の生臭さは見事にドストレートに描いてるからハラショー。空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込む。それが日常。そんな薄氷の上の日常が、ある日突然壊れた事実が現実感ある様子で描かれる。空爆で火の海になる街。吹っ飛ぶ右手。路傍で腐っていく人間。燃える家をバケツの水で濡らしている必死なすずの姿は、大人しいすずのキャラクターじゃなかったら表現できなかったと俺は思う。

「この世界で居場所はそうそう無くなりゃせんよ」

街が焼けて、右手が無くなっても、生活は続く。「いや、街が焼けて右手が無い時点でそれはもう日常ではないんですけど…」と思う。令和の時代の今はね。でも当時はそれが日常だったんだってことを、この映画を見て初めて知れた。いや、はじめて現実味を帯びて実感できた。この映画すげぇよ…。

 

「ボーっとしたまま死にたかった」

そんな地続きの日常の中で、基本的に大人しいすずが感情を露わにするのが”終戦”の瞬間。玉音放送ってヤツですね(歴史の授業で習った)。これ、戦争が終わって歓喜して泣いてるんじゃないんだよ。何でこんなに悲惨な目にあって、泣き寝入りしなくてはならないのと、行き場のない怒りと悲しみに涙が零れたんだよ。「辛かった戦いが終わったんだから、悔しがったのは役人とか兵士たちで。一般的な家庭は喜んだもんなのかな…」なんて思ってた俺はこの言い表せない気持ちを初めて学んだ。なるほど、確かに、今だから想像できるけど、何とも言えない気持ちになる。

 

「ありがとう この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

本音を言えば、日本にはもっとこういう映画が増えても良い(ジブリの『蛍の墓』・『風立ちぬ』も超良い作品だったけど、ちょっとだけドラマティックでしたね、大好きだけど)。戦争を経験した世代が少なくなっているからこそ、戦争を、忘れてはいけない史実として記録するためにも、もっと増えて欲しい。小学校の道徳の授業とかで流せば良いのに。

この世界の片隅に
※Prime Video 視聴用リンク

こんな経験を乗り越えてきた日本人として、
この世界の片隅で力強く誇りを持って生きていきたい。

五等分にした結果、愛の強さが五倍になった稀有な例『五等分の花嫁』

中野姉妹、誕生日おめでとうの気持ちを込めて。

一世を風靡したと言っても過言ではないほど異例のヒットを飛ばした『五等分の花嫁』。2017年夏~2020年の春まで週刊少年マガジンで連載された本作は俺たちに新しいラブコメの形を魅せてくれた。無論俺も大好きな作品だったワケだが。5月5日、姉妹の誕生日祝いも兼ねて本作の魅力を改めて語りたい。語らせてくれ。 ※全力でネタバレを言うスタイルなので原作未読の人は読まない or ネタバレ上等の人のみ読んで欲しい。

(いや、むしろこの記事を読めば未視聴でも大体のストーリーが理解できると思うので、無知識の人ほど読んでも良いかもしれない。)

まずはおさらいも兼ねてあらすじを。

結婚式当日、式場の部屋で微睡んでいた新郎の上杉風太郎は妻と初めて出会ったときを思い出す。

当時、高校2年生の風太郎は、成績優秀だが生家が借金を抱えており、貧乏生活を送っていた。ある日、風太郎は中野五月という転校生と知り合い、勉強を教えるよう乞われる。しかし風太郎はこれを断り、さらに放った一言が彼女の怒りを買ってしまう。その直後、風太郎は妹から「富豪の娘の家庭教師」というアルバイトの話を聞かされ、借金返済のためにその仕事を引き受ける。

風太郎の仕事は、五月を含む五つ子姉妹に勉強を教え、全員を高校卒業まで導くというものだった。落第寸前の成績であるにもかかわらず勉強する意欲すら見せない5人に頭を抱える風太郎だったが、夏祭りなどを通して五つ子と交流する中で、はじめから比較的協力的だった四女・四葉に加え、三女・三玖と長女・一花の信頼を勝ち取ることに成功する。だが、次女・二乃と五女・五月の協力は得られないまま、風太郎が家庭教師に就いて初となる中間試験を迎える。テストの結果は前回より上昇していたものの、赤点は避けられなかったため、家庭教師を続ける条件として5人全員が赤点を回避することを課されていた風太郎は、5人にアドバイスを残し去ろうとする。しかし、それまでは非協力的だった二乃が風太郎を庇って嘘の報告を父親にしたことで、ひとまず家庭教師を続けられることになる。

うん。これがアニメ1期の大まかなあらすじ。冒頭から結婚式当日で、その日に至るまでの青春を描くという『プロポーズ大作戦』スタイル(ただし、ハレルヤチャンスは無い)。上記の他にも、花火大会・林間学校という、視聴者にとっては心躍った一大イベントがあったが、これに関しては是非アニメを観てくれ。ラブコメは大概がイベントでラブってコメる。

本作の特徴として、終始中野姉妹が可愛い過ぎることが挙げられるが、何よりもストーリーが秀逸。ただの家庭教師モノかと思いきや、五つ子のうち一人はフー君と5年前に出会っている”運命の人”という設定が中間試験後に浮上。林間学校編からは、その運命の人が誰なのかというミステリ要素が追加される。この追加要素によって読者の間では「誰が運命の人なんだ?いや、待て、運命の人が結ばれるとは限らないのでは?」と熱い議論が交わされたのは記憶に新しい。さらに、王道ラブコメらしく、5人の姉妹それぞれが血で血を洗う恋愛を繰り広げる。ここがポイント。仲の良かった姉妹が同じ人を好きになることで互いに出し抜き合う(主に一花)。この三者三様ならぬ五者後様であり五人五色の甘酸っぱい駆け引きに、読者はハマっていった。

ここからは五つ子の可愛さをハイライトで紹介したい。推しを重点的に紹介したいところだが、ここは1~5まで順番に。公平にいこうぜ。

中野一花

まず一花。五つ子の長女にしてお姉さんキャラ。だがその実態は可愛い妹だろうと蹴飛ばして幸せを勝ち取ろうとする半天狗。自分の気持ちを胸の奥に秘めがちだが、一度発射すれば止まらない推進力を魅せる魚雷。そして地雷。三玖を泣かせた罪は重いが、アニメ2期で描かれるであろう修学旅行編では、彼女のおかげで姉妹の絆がより深く繋がるとともに、ファンを感動の渦に沈めた。高校生活中に女優としてデビューし、一躍有名人になるほどの美貌と強さを兼ね備え、名実ともに姉妹を引っ張る”強いお姉さん”に成長した。ダメ男を好きになってしまう世話焼きなところもそのキャラの確立に一躍買っているが、完璧すぎないところが彼女の人気の秘訣な気がする。ヤンデレ好きの俺はなんだかんだ彼女のことが好き。

アニメ2期で警鐘が鳴りやまなくなる視聴者が楽しみである。

中野二乃

気の強い二乃。物語序盤では主人公であるフー君のことをバイ菌のごとく扱い、最も手を焼いたツンデレ。実はその気の強さは弱さの裏返しであり、姉妹愛が5人の中で強いからこそATフィールドが厚かった真性ツンデレだ。アニメ一期では尺の都合で描かれなかったが、二乃の本気はこれからなんだよ。彼女が最も物語の中で熱い旋風を巻き起こしたと言っても過言ではなく、一花が爆弾だとしたら台風だ。俺は今でも覚えてるぞ、原作59話でフルスロットルになった彼女はそのままの勢いで物語のブレーキを破壊、最終話まで駆け抜けたザ・暴走特急と言っても決して過言ではない。その一直線具合は時速150㌔で全童貞を轢き殺した。なんとなく「報われないのかな…」と見ている者に感じさせるところがあざとい。ツンデレ好きの俺はなんだかんだ彼女のことが好き。

ここ数年のマガジンヒロインの中で一番熱い告白シーンは必見。

中野三玖

御淑やかな三玖。歴女で戦国武将が好きってところがもう可愛い。ヘッドホンも可愛い。というか全体的に可愛い。アニメ勢には、一番最初にフー君に堕とされたチョロインのように見えたかもしれないが、そこから健気に頑張る彼女の姿は俺に勇気を与えてくれた。人一倍恥ずかしがり屋なところも彼女の魅力であり、自分の恋心を自覚してからも中々フー君に告白をすることが出来なかった彼女が、気持ちを打ち明ける瞬間は作中屈指の名シーンだろう。自分の気持ちに正直になり、迷わなくなった彼女は無敵、頑張る女の子が大好きな俺は彼女のことがもちろん大好きだ。

俺の周りでは三玖推しが一番多かった。無論、俺も。

中野四葉

ここで一つぶっちゃけよう。四葉こそがメインヒロインだ。何故か。姉妹の中でもダントツで天真爛漫なお馬鹿キャラ。恋愛とはかけ離れた性格の脳筋かと思いきや、実は誰よりも相手の気持ちのことを考えることが出来る本当に良い子がここにいた。相手のことを第一に考えるため、自分の幸せは二の次。この性格になった理由も作中では語られたが、結果として四葉の性格の良さが他姉妹から頭一つ抜きんでていることを証明する名エピソードとなった。無邪気な笑顔の仮面に隠された深い苦しみを理解した瞬間、全読者は四葉こそが物語の主軸だったと認めざるを得なかったことだろう。もう言う必要が無いと思うが、苦労人が好きな俺は彼女のことも大好きである。

遅れて来た?いや、最初からそこにいた。それが真のヒロイン。

中野五月

末っ子の五月は食べるのが大好きな真面目キャラ。素晴らしい…見事に性格属性を網羅してくれた。末っ子で、何処か幼さが残るからか、最も恋愛の空気感を感じない五月。でも思い出して欲しい、一話で五月がフー君に声をかけたからこそ物語は動き始めた。そして家族ぐるみで仲良くなる姿。もっとも主人公との腐れ縁を感じる末っ子の恋愛はいつ始まるのか…実は五月こそがジョーカーなのでは…と、ワクワクしながらマガジンを買っていたのは俺だけではないハズ。そしてついにその瞬間が訪れたか? ついに五月もドロドロの略奪合戦に参戦か? と思わせてくれた作者の手腕には拍手しかない。実は姉妹で一番ギャップ萌えを実践していたし、もしかしなくても一番可愛い可能性あり。友達になってくれるなら、俺は五月が一番良い。

しっかり者に成長していく姿は青春そのものを体現していた。

五つ子のことそれぞれを思い出すだけでこんなに言いたい事があるなんて、やっぱり素晴らしい作品だったんだな。ここまでキャラ紹介に振っておきながら言うのもなんだが、この作品の一番良いところはあくまでストーリーの良さ。この記事を読むだけである程度は全体の流れが分かったと思うけど、詳細はぜひ原作かアニメにて、ということで。

五等分の花嫁 コミック 全14巻セット
※全巻イッキ読みする猛者用リンク

まさかこんなに長い記事になるとは思ってなかった。

大丈夫、俺も自分自身の作品愛の強さに正直引いてる。

でも後悔は無い。もう迷わない。

能ある殺人鬼は爪を隠しながら肝臓をソラマメと一緒に食べる

豚の群れを代表して賛辞を呈したい。

まずは、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』でそのカリスマを披露したハンニバル・レクターの気高さに拍手を。原作の時系列で言えば『レッドドラゴン』がストーリーの冒頭にあたるワケだけど。シリーズを通してその高貴な思考(嗜好)に全くの陰りは無い。もともと脇役だったレクター博士がこんなにも人気になるなんて作者も予想してなかっただろうが、『バットマン』のジョーカーに見て取れるように、信念のあるヴィランは得てして人の心を掴んで離さない。

流石、AFIの”アメリカ映画悪役TOP50”で、かのダース・ベイダーを抑えて1位に輝いた男。アンソニー・ホプキンス演じるレクター博士はそれだけ魅力的だって事。※ちなみに、ダース・ベイダーは3位、フレディは40位、俺的ベストヴィランであるジョーカーは45位。

てな具合で、レクター博士に関してはもはや有名過ぎてここでわざわざ魅力を語ることもないと思う。だから俺は『レッド・ドラゴン』について語りたいかな。ちなみに、この作品でも博士の煌めきエピソードがあった。作中、警察に自白剤を使われ、殺した学生を何処に埋めたかを尋問されたんだけどね、供述したのは人肉を食べる時の美味しいソースの作り方。わー!博士素敵…! (←俺の知人でもレクター好き女子がいるが、たぶんこんな反応する。すごい。)すごい、こわい。

「偉大なるレッド・ドラゴンを見よ」

ただ、『レッド・ドラゴン』ではみんな大好きレクター博士はそのナリを潜める。というより、開始10分で檻の中に引っ込む。そう、本作では”人食いハンニバル”ではなく、”噛みつき魔”ことレッド・ドラゴン(あだ名がダサイは禁句)が主役ヴィラン。そう、俺はこの作品も大好きなんだ。

正直、レクター博士に比べると実力不足だと思われても仕方ないと思う。(まぁ、序列第一位と比べてしまうのも可哀想かもしれないが)だが実は、全くそんなことは無い。コイツもかなりヤバい。そもそも、レクター博士が脇役として登場した作品のメイン敵。生半可なキチガイでは務まらないってことだろう。だってこの人、自分の悪口言った記者を拉致したと思ったら、背中の筋肉とドラゴンの刺青をダブル・バイセップスで見せつけ「私はドラゴンだー!」って言いながら自作ゴア写真を大型スクリーンで鑑賞させるんだよ(ダブル・バイセップスはボディビルのポージングだよ!  勉強になったね! )。挙句自分の大好きな絵画の原画見つけたら食べるからね。もうやめてあげて!世間の殺人鬼像が間違った方に進んで行く。

「君は俺を弱めた、そして苦しめた」

「だからショットガンで殺します。だって神が君を連れて行こうとするからー!」病み過ぎて本当に理解できないとこまでキマッたー!!  『TRICK』だったら仲間由紀恵も突っ込み入れないシリアスな空気感で言い放たれる愛の告白に、超低血圧の俺もつい興奮してしまう具合のサイコパス。人間でありながら神をその身に宿したと言う猟奇殺人鬼の行動は終始ヤンデレ。俺、ヤンデレって好きなんだよね。しかも筋骨隆々のヤンデレってヤバくない? 愛が肉纏って具現化した感じ。

そんな彼も最後は見事にザ・悪役を全うします。気持ちいい位に善良な悪役を演じてるから映画好きは一見の価値はあると思う。色んなサブスクで観れるから是非。

レッド・ドラゴン (吹替版)
※Prime Video 視聴用リンク

一方、レクター博士は檻の中で”噛みつき魔”と文通しながら、しっかりと事の顛末を把握しつつ、脱獄の準備を進めていたのだった。流石。→ 『羊たちの沈黙』・『ハンニバル』へ続く。

はぁ~、知的なヴィラン好きだ。

『キングダム』の武将はみんな正しく意識高いから中間管理職は要チェキ

はじめに言っとくがある。『キングダム』は決して戦闘シーンがFate並にスゴい訳ではない。だが俺を含め多くの人を魅了する本作のドコが良いのか。それは登場人物の沸騰した感情が俺たちの心に訴えてくる点だ。この記事ではその熱量を、TVアニメ放送時点までを主軸に語りたい。

俺的作中ベストバウトTOP3に入るシーズン2のVS輪虎エピソードは観ただろうか? 漫画で読んだ人も、アニメで観るとまた泣けるから非常にオススメ。「何でこんなに泣けるんだろう…俺、病んでるのかな…」と自分の涙腺ダムの欠陥工事具合を心配したんだけどね。天下の大将軍への道を歩み始めた信が本当の意味ではじめて相対した”将軍”が輪虎であり、そしてその輪虎自身が非常に意識高い系の武将だったからなんだと気付いた。意識が高い人の言葉は、意識低いと自覚している人間に猛烈に響く瞬間がある。それ。

「本当に天に寵愛される武将は一握り」

「え…やだ…この人働きすぎて危ない一線超えちゃった…?」と感じてしまうのも無理はない。”戦いの天才が戦いの大天才に拾われた”と自分で標榜する通り、常に意識高い輪虎パイセン。廉頗四天王として秦六将・趙三大天と激戦を潜り抜けてきた偉大なる業界のパイセンなんだ。俺たちのような下々とは見ている景色が違う。「片手が使えない戦いなんて幾らでも経験してきたし、何より今日は、この後約束があるんでね。」戦いながら言う台詞にも経験からくる自信と意識の高さが漂ってる。まさに飲み会の日の意識高い大手広告代理店。

だがそんなパイセンも、業界若手注目株の信について思うところがあった。「武の力はともかく、あの歳でこれほど人を惹きつける力は自分にはなかった…」流石である。過去の自分をひけらかすのではなく、過去の自分と比較した上で、明らかな格下も称賛できる。実力者とはかくあるべき姿だと言えるだろう。

また、戦いの最中に放った台詞からも学ぶところがある。「今、背負っているモノの重大さが分かっているかい? 君が倒れれば、この軍は総崩れとなる」。ブラック企業で働いたことがある人はこの時の信と似たような経験ないだろうか。大概のブラックは人手不足の激務だが、それ以上に問題なのは経験不足な若手への重責。俺はこのセリフを聞いた時、深夜のオフィスで独り居残り、天井のシミを数える自分自身の姿を思い出して寒気がした。

「致命的だよ」

太腿を刺される信。馬上での戦いで脚の負傷は即死を意味する。追い打ちをかけるように言葉責めで焦らせてくる輪虎パイセン。やはり、この人もブラック企業に染まってしまった意地の悪いブラック社会人なのか。すぐさま馬から飛び降り自分のフィールドである地上戦にもつれ込む。その姿勢に対し輪虎が言い放つ「その判断は間違ってない。あのまま続けていたらすぐにでも勝負は終わっていたよ」。飴と鞭がお上手。厳しい言葉を投げつつも、若手に優しいところが憎めない上司の人心掌握術と言えるかもしれない。

「俺は関わった奴らの想いを背負って前に進むだけだ」

ここから信が覚醒する。一瞬の隙を突かれ致命的斬撃を食らった輪虎は膝を地面につき、項垂れてしまう(もう歳なんや…)。だが輪虎は笑みを浮かべながら立ち上がる。「殿が…待っている…こんな所で…負けられない…!!」この時点で原作読者ならびに視聴者は思っただろう。あ、コイツ本物や~…信念のある敵キャラや~。バイプレイヤーでこの魅力である。新卒で入った会社で出会ってたらついて行きたくなっちゃう。

「出会いは運命で、そこから先は自分次第さ」

散り際の台詞も完璧だ。相手のことを認めつつ、油断することなく精進しろよ、と退職前の捨て台詞として満点に近い激励。まさに「天に愛される武将は一握り」を体現するかのような、実力に慢心せず努力を続ける輪虎のブラック社員人生はこうして幕を下ろした。ありがとう輪虎。お前マジで最強の意識高い中間管理職だったぜ…。

ちなみに、この戦いの見所はこれだけではない。輪虎を打ち取った信の足元で「これで終わったと思っているのかぁ?めでたい奴らめぇ!ヒャハハハ!」って笑う輪虎兵、あなた世紀末から来ました?と言いたくなる下衆モブっぷりだが、言っていることは至極真っ当。温存されていた伏兵に蹂躙される後方、そこには女副長の羌瘣を置いてきた場所だった。

「私は、飛信隊の副長だ」

激戦後、死体の海で佇む身体を信に抱きかかえられ、意識朦朧の中での「離せ、馬鹿がうつる」っていう軽口すらも可愛い、健気。隊に加わって以来、はじめて隊のために戦う女武神が自分の居場所を自覚した瞬間。復讐に生きてきた人間が復讐後の居場所を守るために死地に赴く姿に俺の涙腺ダムならびに内なる母性もリミットブレイクした。まさにブラック企業の重責に負けずに目の前の仕事をこなす女性社員。可愛い、健気。味噌汁作って欲しい。

「馬鹿か!こんなになるまで無理しやがって!」

いや、お前も中々に無理してただろ。完全に自分のことは棚上げで部下を心配する信。何でそんなに心から心配した台詞吐けるの? 例えるなら校了した後のボロボロの状態で取引先と営業飲みに行くようなものだろうがよ。しかも信はこの後、「最後にまだ…行くところがある」と総大将が戦いを繰り広げる戦場に向かう。バッキャロー! お前さてはラーメンを汁まで飲み干すタイプだな? 塩分過多だ!過剰労働で死ぬつもりか?いや…こんな時期が俺にもあったな…何でもガムシャラに頑張ってよ…若いって良いねぇ。そして信はボロボロの身体を引っ張りながら魑魅魍魎が蠢く飲み会へ向かうのだった…。

 

というわけで、『キングダム』の熱さと武将たちの意識の高さは再認識できたと思う。ちなみにこの後のVS廉頗戦で倒した輪虎に背中押されながら大将軍に立ち向かう信も最高に熱いし、原作ファンが知っている通り合従軍編からの趙国侵攻編にもそれぞれ俺的ベストバウトがあるからアニメが追いついたら記事を書くかもしれない。

だから乱世は面白い。

とりあえず、信は俺と一緒に会社起こして欲しい。

『攻殻機動隊 SAC_2045』の世界同時デフォルトってパワーワードすぎない?

『攻殻機動隊SAC 2045』に面白い単語が出てきた。

ある日突然、スパコンより計算が早いっていう化物・ポストヒューマンの超ハッキングによって[世界同時デフォルト]という金融機関の同時消滅が発生。電子マネーを含めた銀行残高が消滅したとのことだけど、これってどういう事なんだろうって事で、記事を書く。

世界同時デフォルト

俺が面白いなって思ったのは、”残高をリセット”したという点。結果として、債務者が債権者に元本を返せなくなったんだろうけど、国債まで全部帳消しになったのかな。そんな夢物語、可能か? 残高が0になっただけで「ハイ!数字が0になりましたので今までの借金はチャラになりましたぁ!」って現象起こりうるのかな。幼稚園バンクかよ。もしそうなったんだとしたら危険なのは金融機関の麻痺じゃなく、世界的なモラルの問題な気がする。全モラル同時デフォルトだ。

ただ、7話の『はじめての銀行強盗』の話を見た時にこの不安は払拭された。 (※というかこの7話、初期SACファンはみんな好きだと思うから絶対見た方が良い。脚本とがほんと神! 山健司作品っぽい。終わらせ方とか。)

閑話休題、順番に話を進めよう。まず、7話で明らかになったのは[世界同時デフォルト]の後も銀行は機能しているという点。世界的にデフォルトが起こったんだとしたら通貨制度が無くなって「もう金融機関いらなくね?」って物々交換体制まで巻き戻っても良いもんだけど。そんなことにはならなかったってことだろう。次に銀行強盗の動機である。銀行強盗を企てた老人は「俺たちの年金を上手い儲け話で溶かしやがったアイツに復讐したいんだ!」ってことだけど、年金制度がデフォルト前と変わらずに機能しているってことは日本の社会制度が生きている=国債も変わらず機能してるってことだ。ただこれはあくまでデフォルト後に新たに国債を発行して国を運営してるだけかもしれないので、結局のところは今と何も変わってない。単純にリセットが起きただけってこと。ふむ、まぁこの辺が違和感のない落としどころなんだろう。ただ、そうなうとポストヒューマンがデフォルトを起こした動機がまったくもって不明。彼らは超計算した先に何を見たのか。

サステナブル・ウォー

直訳で”人間社会の継続発展のための戦争”。最高に攻殻機動隊っぽい単語だが、ここに真理がある気がする。[世界同時デフォルト]を起こした動機がこの[サステナブル・ウォー]の活性化を狙ったんだとしたら、可能性が広がる。

いま若干タイムリーなことにコロナショックで世界同時株安が発生してるから、このタイミングでこれについても触れてみよう。例えば日本は全国民10万円一律給付も含めて50兆円くらいの経済対策資金を捻出した。国債を発行してこの資金を賄っているワケだから、新興国は全部借金まみれ。コロナ蔓延が落ち着いたら、各国の中央銀行が新たに紙幣を刷りまくることで、V字回復に向けて名目経済成長率を上げるために施策を図ると思うんだけど。机上での予測なのでこれが上手くいくかは誰にもわからないんじゃないかなっていう一抹の不安。そもそもいろんな国が同時に金を増やしたら残高は増えるけど物価も上がるから本末転倒か?

宜しい、ならば戦争だ。苦しいから略奪するしかない。そうなった時に略奪が正当化されるのが、ご存じ戦争という人類発展システム。戦争によって技術が進歩してきたことは歴史が証明しているし、文化的な技術も向上するから個人単位での文明水準が爆発的に向上する。戦争なんて、苦しい状況があればヤンキーが道端で肩をぶつけるみたいに適当な理由で開戦まで持っていける(ロシア様とアメリカ様のバトル観てるとこんな風に思っちゃうのは俺がただ厨二だからなんだろうか)。ポストヒューマンが狙ったのはこの人類発展そのものなんじゃないだろうかという仮説浮上。

不正な行いをしている人間を殺害するという、夜神月めいた行為をしているポストヒューマンもいたことから、この仮説には信憑性が増してくる。

  1. 戦争によって文明レベルの持続向上
  2. レベルの低い人物削除で道徳水準の上昇

この2つによって、今よりも一段階上のレベルにまで人類を押し上げようとしたんじゃないかって気が。[世界同時デフォルト]は、長い目で見た時の人類一斉先行投資って感じ。「教授せよ」なんて言わんばかりに無許可・無告知で行ったところには多少の悪戯心を感じるが。作品のタイトルに[SAC]が入っていることに注目して欲しい。初期アニメを観ている人にとっては耳馴染みの良いこの単語、[SAC(スタンド・アローン・コンプレックス)]は、簡単に言うと個人の行動が結果的に集団的総意の行動=コンプレックスを実行するってことなんだけど。結果的に人類総意の行動を行っているとしたらポストヒューマンの行いはSACだよね。不可能を可能にするっていう意味で。流石にこの人類発展の先にどんな事をしたかったのか、どんな未来を計算したのかは、俺の一般ヒューマン悩では想像できなかったけど。ここまで考えて俺の中で取り敢えずは一通りの納得はできた。というか考えるの疲れた。続きはシーズン2の展開に委ねよ。

最後に作品自体の感想。話は攻殻機動隊節が効いててメチャクチャ面白いし、公安9課のメンバーがまた見れたのが最高にオモシロ。ただかなり世界的なウケを意識して作ったのかなって所はあった。フルCGになったことでセル画の頃の味わい深さが無くなったのは少し悲しいが、CGのおかげで真っ裸でマシンガンの弾を踊りながら避けるビルゲイツが顕現してたし。『マトリックス』のオマージュとしてスミスさんが出てきたのはSFファンは皆ビクッと反応するんじゃないかな(ヒューゴ・ウィービングが!ラッキーストライク吸ってる!)。あと9課の新キャラ2人とも可愛いよね。

願わくば、シーズン2ではSACの1話完結形式を踏襲して海外ドラマみたいにやって欲しいって気持ちはある。もっとハードボイルド寄りの脚本にしたら俺はドンピシャでハマってた。まぁまだシーズン1だから、新公安9課設立が主題だったんだと思う。シーズン2では離婚したトグサが夜空を見上げながら煙草吸って溜息もらす…みたいな話があると嬉しい。アオイくん出てきたら泣く。

これを機に初期SACも派生して観直したり、新しく観る人が出てきたら嬉しい限りです(俺、こんなに殊勝なこと考えられたんだな…)。

攻殻機動隊 SAC_2045 カードケース A
※俺がいま愛用してるカードケース

この記事も、少しでもそれに助力できれば本望。疲れた、寝る。

人生という宇宙の飛び方を知った時、見上げた青空は涙で歪んでた。

「どうして僕は醜いの?」

皆が「良い」「泣ける」と言う『ワンダー 君は太陽』を観て思ったこと。まず結論から言おう、新しい作品だった。

始まるやいなや、宇宙服を模したフルフェイスヘルメット被った少年の自分語りがスタート。この時点で思ったね。あぁ~、顔面にコンプレックスある系か~。俺と一緒!よいちょまる!

死の。

でも、この映画を見始めてものの数分で同じようなファーストインプレッションを得た人は大勢いると思う。誰しもコンプレックスの1個や2個くらいは線引きし享受した上で日々過ごしてるからだ。ところが、本作は単なるお涙頂戴系ヘイト同情映画では決してない。

『美女と野獣』と同じプロデューサーがそんな安直なお涙頂戴展開を許すワケないだろうが。何が違うか。考えてみたんだが、他の感動映画との大きな違いとしてグランドホテル方式の物語展開という点が挙げられる。すみません、カッコ良く言いました。要するに群像劇。

虐められている人間の人生にフォーカスを当てるのが普通の映画。「虐められている側にも問題がある」という言葉は言い得て妙だと思うが、「虐めている側にも問題がある」のだ。コンプレックスと一緒で悩みの無い人生なんて無い。俺から言わせればそんなん人生じゃない。この映画は主人公であるオギー少年を主軸に、姉・姉の親友・学校で出来た初めての友達と、チェーンしながら周囲の人間に焦点を当てていく。

時には悩みを打ち明け合い、次第に心を開いていく登場人物たち。それは誰もが経験したことあるような、ありふれた悩みかもしれない。でも当事者にとっては人生に些事などない。虐められるには理由があるし、無視されるのも理由がある。その逆もまた然りだ。誰もが一度は至ったことのあるこの考えかた、本当にしっかりと考えたことある人は俺も含めていないと思う。相手の気持ちを完璧に理解することなんて不可能だから。

でも、想像することはできるハズ。 相手の気持ちを理解する。人類が群れを成して生活する生物である限り、人生の目的はコレに尽きるんじゃないかと俺は思う。思わない? なら貴方とは友達になれません。以上、解散。

「心の中を覗いたら、きっと普通の人なんていない」

ワンダー 君は太陽(吹替版)
※PrimeVideo 視聴用リンク

相手をよく知りたかったら方法は1つ、良く見ること。

普遍的正義について『幼女戦記』でアプローチする俺は既に闇落ちしてる

「銃を取れ!奮起せよ!」

気が付けば、地上波で興奮しながらアニメを観ていた2017年からこんなに年月が経ってしまった。忘れている人ももう多いと思うので、今一度、”ラインの悪魔”ことターニャ・デグレチャフ少佐の戦績をおさらいしておこう。「あぁ、あの幼女そんなことヤッてたなぁ…」って微笑みが零れてくるなら、諸君らは誉れ高い幼女好きだ。胸を張れ。

  • 帝国史上初の魔道大隊設立&隊長就任
  • セオリーを無視し南方ダキア首都襲撃
  • 西方前線での斬首作戦で敵司令部壊滅

ここまでの戦果で年齢は確か10歳~11歳。悪魔や…。

劇場版でも存在Xに対する憤怒の感情は全く衰えを見せず、戦場で自重することなくジェノサイドするチート幼女。また、その御力に陰りは無く、乱高下する荒ぶった金髪ポニーテールを拝めるとは光栄至極にございます。

今回は劇場版らしく、敵側である義勇軍側にもメアリーという主人公クラスの登場人物が出てくる。正義感が強く、友軍のピンチへは我先にと駆けつけたがり、ターニャとは倫理観的に絶対に友達になれないタイプ。※メアリーが上官に無謀を諫められ、唇を噛んでいる時、ターニャは首都を爆撃しながら広範囲放送で自国の国家を斉唱している。どっちが主人公か一瞬迷うレベル。

人類のため、世界のため、皆で戦うべきです!

清々しいヒーロー精神溢れるメアリーの台詞。週刊少年ジャンプだったら間違いなくコッチが主人公だろう。軍事的合理性の塊が可憐な幼女の皮を被ってるターニャとの対比で対立構造が見事に分かりやすい。だが、ターニャも決して悪ではない。

ここで今回の本題に入ろう。正義とは何だ?

過去マイケル・サンデルは、あの有名な『これからの「正義」の話をしよう』で幸福・自由・美徳の3つの観点から正義についてアプローチをした。ならば俺は『幼女戦記』からアプローチしてみたということだ。いたって真面目だよ。

例えば本作でメアリーは復讐心にその身と心を燃やし、敵を討つことが全てであり正義。そのためだったら命令無視もするし幼女にだってグーパンする。コンプラ的には、まぁ…中身オッサンですし、許しましょう。対するターニャは、理性に基づく自由意志においてその場での最善を尽くしてきた。だから敵対する奴に娘がいても殺すし、その娘も向かってきたら殺す。所属する国・組織が悩筋で頼りないからこそ、個人技で秀でる幼女は生き残るために自分の意志こそが正義。神に救いを求めるなんて持ってのほか!

そもそも、戦争においては個人が生きたいと思う事すらも正義とする大衆意識が存在する。例え相手が自分を肉親の仇として狙ってきたとしても、自分の命を守って御国に貢献するためだったら向かってくる白羽の矢は容赦なく撃ち落とせの精神だ。平時においては、不公平に感じる考え方だが、それが戦争ってもんだ。つまり国や宗教が違えば、正義は変わってくる。これはルールにおいて規定される正義の概念が単一ではないことを証明している。

一旦身近な例を用いよう。俺が昔勤めていた会社は所謂ブラック企業で、会社のトップの意思決定が全ての家族経営ワンマンカンパニーだった。「私がルールだ」と声高々に言わんばかりの(というか、言ってた)振る舞いは、組織に所属していない人からしたら嫌悪感丸出しで、馬鹿げた姿に見えると思う。だが所属している人間にとっては、その社長の一挙手一投足が全てだった。だって雇用主なんだもん…クビになったら明日からどうするの? 結果、従順な兵隊の出来上がりである。フォースは暗黒面に染まり、斬魄刀を持てば虚が身体を乗っ取ろうと仮面を被せてくる。所属組織の正義という真っ黒い旗を刺され、犯され、心がガバッガバ状態。その会社でも何人かいたのだが、この状態が長く続くと、スタンフォード監獄実験よろしく、正義に組しない受刑者を虐める看守側になろうと躍起になってくる。こうなるともうお手上げ。ヤリマンダースベイダーと俺は呼んでいた。

無論、例にもれず俺もそのペラッペラの正義に従っていたワケだけど、心の中では「コイツ(社長)がおかしいと思う心だけは忘れないようにしよう…」といつも思ってた。コレですよ。コレが、一番大事。先にも述べたように、時代・組織・環境で簡単に変わるのがソーシャルな正義的概念。ただあくまでこれは正義的な概念であって、普遍的な正義ではない。常に変わりゆくものだからこそ、自分自身で常に「これが正しいことなのだろうか?」と疑う心にこそ普遍的な正義が宿っているんだと信じたい。人間は生まれた時は善き心を持っていたのだと。あのクソ経営者を今でも地獄の底に叩き落として、釜茹でされてる姿を眺めながら芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を大声で朗読したいと思う俺の歪んだ心にも、きっと正義が宿っているのだと、信じたい(信じたい)。

以上。長くなったけど、アニメ一つでここまで考えられるってすごく道徳的な世の中じゃない? みんな絶対もっとアニメ観るべきだよ~。漫画も良いよ、大事なことは漫画から学ぶんだよ~。え、まだあの映画観てないの?おかしくない?それって変だよ~。マジ有り得ないんですけど~、ウケる~。

っていう、頭の中肥溜め人間が主張する”有り得ない”という仮初の正義っぽい圧力に染まってはならない。それはその境遇だけで正義っぽく見える何かだ。大事なのはどんな環境でも自己の中で、正義とは?正しいとは?おかしいとは?と思える心を失くさないことだ。

ちなみに本編は、歩兵大隊と機甲中隊・砲兵隊が加わって帝国初の大戦闘集団:サラマンダー戦闘団が編隊&ターニャ隊長就任されて終了。

~俺たちの戦いはまだ終わらない…!!~END。

幼女戦記 コミック 1-16巻セット

アニメ2期、待ってます。

リア充絶対殺すマンに刃向かう真性ロリコンおじさんが一周回って可愛い

「お前らみんな、俺の子供たちだ」

一線超えてきたな、ボーダーおじさん。

2003年にアメリカにて公開された本作。『13日の金曜日』も『エルム街の悪夢』も、スリラー映画の枠に収まらずに一つのジャンルとして成立しているほど人気があるのは言うまでもない。そんな映画史における二大殺人マシーンが戦うというのだからホラー・スリラー好きにとっては胸アツである。

余談だが、個人的には『ハロウィン』のブギーマン、『羊たちの沈黙』のレクター博士を加えてスリラー四天王。

RPGだったらブギーマンが一番最初に出てくる”本当に強い敵”で、物語中盤で苦戦しそうだ。やっとの思いで倒したと思ったらフレディおじさんが現れて「くっくっく…奴は四天王で最弱…」とか言ってきそう。終盤突入。夢世界の戦いを生き抜き、辿り着いた湖のある森でジェイソン登場。ボス戦の前に立ち寄った民家でレザーフェイスに襲われる展開も面白いかもしれない。そう、森はボスラッシュだ。ホラー現象と殺人鬼はだいたい森で暴れる。数々の強敵を倒し気付く、レクター博士…まさか貴方が全て…→「君の勇気を称賛するよ(ズクシッ!)、君の心臓を食べよう」ナイフを刺された状態でラストバトル開始。ボス戦後、やったー、全員殺した―!褒めてよ悟史くーん!なんて暇はない、復活するブギーマン・フレディ・ジェイソンの不死スキル持ち。空いた枠には何時の間にかペニーワイズが座っているのだった…(続編に続く 的な?

誰かこのRPG作って。

余談が過ぎました、本筋に戻ろう。

そもそも夢世界が主戦場のフレディおじさん。現実世界で受肉した状態だと、汎用人型決戦兵器ムッキムキのエヴァンゲリオンことジェイソンの相手は分が悪いのでは? そんな俺の疑問も物語中盤で吹き飛んだ。

「女は俺のもんだ!邪魔すんな!」

これだけリビドーに忠実だともはや応援したくなる。可愛い。そう、フレディには溢れんばかりの情熱があるのだ。例えアウェイだろうと一矢報いる気概と性欲を感じる。メンタルで武装したロリコンは屈強ゆえ戦力差は皆無。ここから四天王2人による人間狩猟が始まる。

ヤリたい放題である。こんなに生き生きとスプラッタしてる2人は見たことない。途中、ジェイソンが電子機器に鉈をブッ刺して感電するというファン涎垂のお茶目具合。嬉しい、これは嬉しいぞ。ジェイソンは一直線で抜けているところが可愛いんだよな。そんなこんなで現実世界で睡眠薬投入されたジェイソンはフレディのホームグラウンド夢世界へ。そう、夢世界にいる限りロリコンは無敵。

『貞子 VS 伽椰子』で生まれた名言「バケモンにはバケモンぶつけんだよ!」の精神は万国共通らしく。見事に誘導されるバケモン2人。共倒れを狙うリア充たちは夢世界で劣勢のジェイソンを応援するが、トラウマを刺激されジェイソンは昏倒してしまう(可愛い)。

ラスト20分。リア充たちの頑張りで見事に現実世界に引っ張り出されたフレディおじさんはジェイソンにこれでもかと圧倒されます(なんだこのシーソーゲーム)。さぁ面白くなって参りました~、一進一退の攻防を繰り広げるバケモンゲーム。ここでロリコンは閃く、逆転の一手を。

「魚雷発射」

勝敗の結果はご自身の目で。

フレディ VS ジェイソン [DVD] ※なんと驚愕の33円

伝説の武器≪プロパンガス≫が火を噴くぜ。

重度のTRIGGER依存症の俺にとって『BNA』はアビガンよりも特効薬

新型コロナウイルスが蔓延して暇を持て余している社会のクズです。コロナ患者は黙ってNetflix登録して『BNA』を観た方がアビガンよりよっぽどコロナ治る。現に俺は治ったよ。

俺的人類史上1番面白かったアニメは高校生の時に観た『天元突破グレンラガン』なんだけど、以来ずっとGAINAXは俺にとっての精神病院だ。そんな俺が独立したTRIGGER作品を追いかけるのは自然の摂理だろう。※ちな『エヴァンゲリオン』にも一家言あるのだが、それはここで語る気は無い。いつか頑張って書くと思う。とにかく今は『BNA』だ。

希望を偽ってるんじゃない。TRIGGERは希望を示している。

まずOP・EDがお洒落すぎる。時代を捉えているというか。俺は音楽に詳しいワケではないので、小難しい音楽談義は意識高すぎてむしろ人間力低下してるアニソン好き風バンドマン達に譲ります。

ラップ+鎮魂歌=落魂歌として当時ニコニコ動画で祭り上げられたかの名曲 ”Libera me” from hell を地上波(しかも最終回直前の25話最高潮の瞬間)で流したTRIIGERの面々のことだ、きっと俺なんかと違って音楽にも明るいんだろう。そんな人たちが自分たちの作ったものに合わせる音楽だ。良くない、ワケがない。

「いつかアニメ史上もっともオシャレなEDを作りたい」という夢が叶ってしまった感ある。

TRIGGERにてプロデューサーを務める武井克弘氏(つまり神)の御言葉である。「EDで走るアニメは名作」という謎の法則が昔ネットで囁かれたことがある。真偽はともかく、このEDもその例に乗っ取っていうなら間違いなく名作の要素で溢れている。回ってるし(適当)。なんか、『リトルウィッチアカデミア』のEDみたいだなぁと感じたのは俺だけではないハズ。それだけでもう名作ってことだよ。

そもそも獣人をテーマにしてる点が良い。溢れ出る製作陣のパッションと獣人のコミカルさが見事にマッチして化学変化起こしてる。『パンティー&ストッキング』の時も思ったけど、このくらいクレイジーな世界観の方が、映えるよね。ここにTRIGGERお得意の強いの”戦う女の子”。最高じゃん?『キルラキル』の流子のDNAを継いだ新主人公はどんな活躍をするのかにも期待。

まだ6話時点ではストーリーは序章の序章って感じだけど、ここからどういう展開を魅せてくれるのか。この鬱々しい社会情勢を吹き飛ばしてくれる特効薬になってくれることを願うばかりである。

世界を変えてくれ。

全話視聴後の記事は下記
価値観の違いが自由を阻害するなんて決めつけているのはきっと自分自身