『としまえん』行こうって言う女は絶対に信用しちゃダメ、絶対

開始早々にモブが犠牲になる映画。それが『としまえん』。作中のニコ生実況者が早々にエスケープする時点で感じる通り、これは駄作だ。でも見てしまう。それがホラー好きってもんだ。

 

簡単なあらすじ
老舗遊園地としまえんを舞台に、都市伝説の『としまえんの呪い』を実践した仲のいい女子大生5人組が、一人ずつ姿を消していくという、元NGT48の北原里英が主演したジャパニーズホラー映画。

撮影には『としまえん』が全面協力し、実際の都市伝説の噂も背景にして怖さを演出。

 

小休止とみせかけて

正直に言おう。俺は『自殺サークル』『高速ばあば』、もしくは『ひとりかくれんぼ』と同じ類だろうと思ってこの作品を視聴した。つまり、小休止だ。ホラー映画観すぎの脳ミソのご褒美タイムとでも言えば聞こえは良いだろうか。俺的最恐ホラーは『死霊館』なんだけどね、ジェームズ・ワン監督レベルのホラーを一日に3本とか観てると脳が疲れるんだよ。「あの~!そろそろ休憩頂いても良いでしょうかァ!?」って、脳が半ギレで抗議してくる。バイトですら休ませなきゃコンプラ的にNGな昨今、脳も休ませなきゃイカン。

さぁ本題に入ろう。本作は現実にもある遊園地・としまえんを舞台にしたホラー映画だ。女子大生5人がとしまえんのお化け屋敷を訪れてからストーリーは動き出す。開始15分で取り敢えず一人餌食になるんだけどね。そこからが本番。最初餌食になった女子大生から芋づる式に蔓延していく被害の嵐。そう、『着信アリ』と似た構成だ。柴咲コウ好きの俺はここで一回当時の恐怖を想起した(ちなみに堀北真希の方が好き)。

毎回この手のJホラーを観ると、なまじストーリーが入り組んでいるモノが多く。その上、答えは視聴者に丸投げするというクリエイティビティを履き違えまくっているから厄介だ。脳を休ませることすら叶わんのかコイツらは。

 

そもそも「としまえん」と言えば

昔から「お化け屋敷」には本物が出るとホラー好きの間で噂されていた(というか、ホラー好き以外にも結構有名かも? なんかみんな知ってる気がする)。俺が知ってるだけでも火の玉が見えるとか、全自動&スタッフ無しで運営してるハズなのに”明らかに機械じゃない何か”を見たりとか。まぁ、俺は心霊スポットには行かないと心に決めているので体験してないんですけどね…。ホラーは映画だけで十分だ。

他にもミラーハウスに幼女の霊が出るとか、古い洋館(個人的にはこっちの方がヤバイ)は取り壊しようとする度に呪いが降りかかるとか、怖い噂が絶えない。それをどんな感じで映画化してくれるのかなぁと思ったらまさかの噂スポットてんこ盛りで、そこに関しては「やるな」と思ったのが本音。中々にツボを弁えておる。と、思っていたが本編全体に関してはやっぱり内容がよく頭に入ってこなかった(ちなみに作中後半クライマックスの主戦場に選ばれたのは「電気室」)。強制的に脳を休ませるため、俺は考えることをやめた。

zoom飲み翌日の二日酔いの脳ミソにとってはちょうど良かったと言える。

キタリエは可愛い。

映画『としまえん』
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俺はただ愚直にトロイメライ聴きながら『かくしごと』の大蛇足を待つ

久米田康治先生の作品『かくしごと』。

2020年4月からアニメ化を果たし、一気に人気が出ているであろう今作。先生の数少ないファンとして、噛めば噛むほど味が出てくるであろうこの作品の魅力を紹介したい。本記事に伏字が多いのは愛ゆえである。

 

あらすじ
隠し事は、なんですか?

ちょっと下品な漫画を描いてる漫画家の後藤可久士。一人娘の小学4年生の姫。可久士は、何においても、愛娘・姫が最優先。親バカ・可久士が娘・姫に知られたくないこと。それは……自分の仕事が「漫画家」であること。 自分の”かくしごと”が知られたら娘に嫌われるのでは!?

” 愛と笑い、ちょっと感動のファミリー劇場がはじまるーー”

 

ここにきて新境地

曰く、久米田先生が”アニメ化を目論んだ”ことであろう『行け!! 南国アイスホッケー部』(短命に終わったワケではなく、先生のベストヒット作品)。『勝手に改造』『さよなら絶望先生』と子供の頃から読んできた自分にとっては(というか他は知らない)、本作のハートフルさに新境地を感じずにはいられない。

そもそも、俺が最初に先生の作品を読んだのは『勝手に改造』からなんだけどね。その社会風刺を含んだ一話完結の服を着ないギャグの数々に、「こんな漫画が存在して良いのか」と小学生ながらに疑問を持ったのを覚えている。後に知ることになるが、この系譜は『行け!! 南国アイスホッケー部』の途中から狂人のごとく発揮された久米田先生の持ち味。『さよなら絶望先生』がアニメで人気になり認知度が一気に向上したことで、この作風にハマる人が続出した久米田節ってやつだ。やりたいことをヤリまくり”終わり良ければ全て良し”の精神に溢れた名誉ある撤退最終回を繰り返す、少年誌らしからぬ無二の作者と言える。

そんな俺からみたら、本作は異端だ。今まで学園生活モノが多かった中、家庭・仕事場という全く違うフィールドを軸にした物語展開。家族愛をテーマに据え、しかもその内容がしっかりと父と娘の愛の深さを描いているから驚きである。どうした? 久米田どうした? 遅れてやってきた悟り世代か? と初めて読んだ時は衝撃を受けた(アニメに至ってはキラキラと輝きすぎていて、一瞬、先生の作品だとわからなかったぐらいだ)。だから、あえて新境地という言葉を用いたい。

 

久米田康治節は健在

コレコレコレぇ! 過去作を見てきた人達にとって、無くてはならない要素。それが社会風刺ネタ(画像はアニメ4話「ノルマエ・ナマエ」より抜粋)。今思えば、誰もが思っていることを全国誌で大っぴらにネタにするそのブラックジョークから学んだことは多く(「ダメ絶対音感」の話とかね)。例えば『勝手に改造』では、巷で”お洒落キング”なるものが流行っていた頃、作中で”お洒落先生”なるものが若者のファッションを悪意のある目線から酷評するような表現があった。その痛快さは、さながらポスト池上彰。些か脱線するが、池上彰と言えば、2013年の参院選で公明党議員に対し「政教分離の憲法違反への言及」でお茶の間をシニカルな空気に変えた。これを週イチで行っていたのが久米田康二であると言えば、言い得て妙。同作品の鋭い切り口を受け継ぐコンテンツ、それが『かくしごと』という作品なんだ。

 

新境地の先に何を魅せてくれるのか

1話冒頭、姫が18歳になって昔の実家を訪れる。そこで父の「隠し事」が「書く仕事」だったということを初めて知るというストーリーなのだが。実はこの18歳編はしばらくナリを潜める(単行本では毎巻描かれる)。再びこの未来編が原作で動き出したのは実は最近のことで(2020年4月くらい)、それからというもの、本編としてメインに描かれてきた姫10歳~11歳の過去編と絡み合いながら、空白の時間で何があったのかがドンドン明らかになってきている。

原作はここからいよいよストーリーの核心部分に触れ、面白くなってくるところなので、期待しかない。特に打ち切り最終回への畳みかけ伏線の張り方には勝手に定評を感じているので、一体どんな形で物語をまとめてくれるのか、楽しみで仕方がないのが本音だ。家族愛がテーマなので、ハッピーエンドになるだろう。という前提がありつつ、久米田先生だったらいつも通り想像を超えたエンディングを魅せてくれるだろうと過度な期待でプレッシャーをかけたい。すごいなー漫豪さすがだなー。

 

色々と言いたい放題言ってしまったが、本作での姫の台詞の一つである「言いたいことがあったら漫画で描けよ」を自ら体現する作風が大好きなので、気になった人は暇な時に観て欲しい。

これは仮設だが、久米田先生自身に娘がいることが某漫画家のツイートで世間にバレている。もしかしたら作者自身も娘に自分の仕事を内緒にしており、これは事実に基づいた一部ノンフィクションの可能性も…?

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面白いよ。

静かなパニックという矛盾した恐怖はヤバめのFLOWで唐突に湧き出す

トロント国際映画祭で2017年の「カナダ映画10」にも選ばれたという『飢えた侵略者』。ホラー好きにとっても楽しめる、新しいゾンビ映画の表現がここにあった(面白いとは言ってない)。

簡単なあらすじと全体の雰囲気

冒頭からゾンビが発生。ゾンビと戦う者、協力して生き抜こうとする者など、それぞれの形で新しい生活を送るカナダ人たち。主人公たち一向は過激派ではなく、基本的に逃げることを主な活動としてるんだけどね、ここがこの映画の肝。逃げることを行動の指針にしているから過度な物音を立てるのは厳禁なワケで、それがこの作品全体の雰囲気を見事に作り出してる。よくあるゾンビ映画って主戦場が市街地だから、結構ドンパチやったり騒がしいものが多いんだけど。これは作中のシーーーンとした「音、立てんなよ! 耳をすませよ!」っていう空気感で構成されてる。カナダの広大な大自然と共鳴して、雰囲気イケメンな映像。俺が一回見て理解できたのはこのくらい。

 

空間の使い方がとにかくカナダ

贅沢な構図。ただ突っ立ってこっちを見てる可愛い親子も、森との対比で妙に奇妙に見えてくるから不思議(実際かなり奇妙だが)。

 

でも襲う時は速いし煩い

え、急に!? 何でさっきまでそんなに静かだったのに、急に!? って感じで襲うときは速いし煩いというギャップ。ひと思いに襲ってくれよ!と感じる。ゴジラみてぇに叫びながら襲ってくる”静と動”の使い分けエキスパートゾンビ。たぶん球技全般で脅威の記録出せるよ。バドミントンとかおすすめです。

 

モニュメント

作中、ゾンビが謎のモニュメントをゴミで組み立てているシーンがあった。「ナニコレ」と口から出てきたのがまさに俺の正直な感想だが、モニュメント以上に気になるのは周りを取り囲んでいるゾンビさん方。何故かピーンと突っ立ってる。死んだ? あ、いや、死んでるのか。静寂と合わさって新興宗教のミサみたいな雰囲気を醸し出してる。と、思ったらヒッピーな恰好したイケメンおじいちゃんゾンビが甲高い奇声あげてこっちに向かってくる。突然。「中々に面白い表現だなぁ」と思った。怖いって言うより、何か良く分からない行動をしている人、めっちゃ怖い。っていう恐怖。森の中で全身白装束の集団に出会ったら俺だって逃げる。これはゾンビ映画の皮を被っているだけで、人間って、こんな風に動くと(動かないと)怖いでしょ? っていう新しいヒトコワとも言えるかもしれない。

 

まだまだ恐怖には先がある

俺は全然詳しくないからただの想像なんだけど、カナダってさ、こういう空気感をすごく大事にしてる気がする。土地が広いからこういう静寂そのものの恐怖を敏感に感じるのかな。

確かに、誰もいない教室とか、田舎の家で留守番してる時とか、いつもは賑やかな場所が急に静かで物音一つしないと、謎の恐怖感に襲われた経験あるもんな。

この作品はそんな子供のころの単純な恐怖を思い出させてくれたように感じる。あと、今のホラーって結構固定観念が積み重なってきてるというか、こういう面白い表現も飲み込んで行けば、世界中が恐怖する万国共通ホラー作品が生まれるんじゃないかなって思いました◎。

ホラーもっと盛り上がれ。

謎アニメ『ミッドナイト・ゴスペル』の正体はアートマン用の電子ドラッグ

『ミッドナイト・ゴスペル』とは?

一言で言えば、アメリカの制作会社がNetflixに投じた劇薬だ。この作品に触れた者は「生きるって一体どういうことなんだろう?」という疑問を感じずにはいられない。もしくはタブレットの画面をそっと閉じるだろう。

簡単なあらすじ

主人公のクランシーは、宇宙の何処かで多元宇宙に向けて個人ラジオを放送するキャスター(なお、リスナーは1人)。突撃型のYoutuberさながら、様々な宇宙に取材に赴き(赴き方は現在の地球のテクノロジーでは理解不能なため割愛するが、卑猥)、その星での有識者をゲストとしたゲリラストリーミング番組を配信する。

ゾンビが蔓延する星に降り立った第一回放送では、大統領と一緒にゾンビを殺しながら「薬は合法化すべきか?」と議論を交わし、しゃべくっている間に特効薬が完成し星は救われた。ように思えたが、内臓飛び出した大統領はたぶん死んだしあの星も長くは保たないと思う。途中「生きるとは?」という議論が大統領との間で勃発したが、ゾンビに襲われながら妊婦が新生児を生む瞬間を見せたり、ゾンビの視点からの幸福=無為自然であり真の解脱を明示してくるというとってもキチガイアニメ。

クランシーは東洋仏教の思想が強い。あとどうやら毎回登場するゲストの中の人は現実世界の有識者とのこと。

 

「まともな世界は無いのか?」

常時サマー・オブ・ラブを体現したかのようなリラックスっぷりのクランシー。お前直前まで一つの星の終わる瞬間見てただろ。何でそんな安らかな顔でFMミュージック流してやがると突っ込みを入れたくなるが、これが彼の日常なんだろう。

自然味溢れる星に降り立ったと思ったらしゃべるカバと議論を交わす。議論を交わしながら狩猟され、ミンチにされ溶け合いながらも「愛とは?」という議論を続ける姿は超精神体としての神そのものだ。

彼の眼と体験を通して見る通り、”まともな世界”などこの世には存在しておらず。世界は何処も何かしらの問題を抱えているという事が主張されている。

 

「言葉は神だよ」

魚人間の姿をした臨済宗指導者もが出てきたところで、俺も流石に気付いたよ。このカートゥーンアニメは、悟り探求者たちのインスタライブに合わせて奇天烈なアバターがアンサンブルを奏でる脳内遠心分離機だということにね。ポックルだったら「あっあつあっあっ」って言いながら水見式の方法をピトーにバラしちゃうような、そんな感じ。

「東洋は悟りを開くことで真実に至ろうとするが、西洋では魔術を用いて悟りへの速度をブーストしたんだ」と魚人間が話している姿を見ながら、俺も、あっあっ…なるほどね~。なんて、考える力を失くしながら納得していた。これは新手の催眠術式か?

「僕らはハヌマーンがサルの神様と言われてもピンとこないよね。HAHAHA!」いや笑いどころ個性的すぎんかお前ら。 さながら仏教大学の教授会。だが、この時俺は既にこのアニメの術中にハマっていた。

考え続けることを美徳とする人間社会の多くの宗教。ただ、世間の人たちは現実に不満だらけ。本来は後ろではなく前向きにエネルギーを注ぐべきなのに、なぜ多くの人がそれをできないのか。

覚せい剤でラリってるミレニアム世代は今を輝かせることに必死で未来を見ていない。何故か。それは欲望を制御できていないからだ。欲望があるから人は不満を抱くし、気持ちのいいドラッグを鼻から掻き入れて脳をシェイクする。時にはこの停滞が必要な時もあるかもしれない(トリップ中に気付くこともあるらしい、例えば、オーガニズムが悟りの境地だということ)が、前に一歩進むために必要なことは考えることだ。

自分自身を。このイカれたアニメはその重要性を見事なまでのFuckin animationと、言葉を用いて説いてくれている。つまりマインドフルネス推奨アニメ。ナマステックス!

 

「監獄は自分の頭の中にあった」

このサイトの記事を読んでいる人は気付いてると思うが、俺は答えの無い問いかけが好きなんだ。俺自身は心理学部を卒業したが、姉が哲学を学んでいた影響もあるかもしれない。これだけで安定した収入があれば四六時中こういう答えの無い、どこに向かっているのかも分からない様な無駄な事を考えていたい(でも本音では無駄だとは思っていないから厄介★)。

自分の体も含めて、今見ている世界は自分自身の精神に内包されている。つまり、心を決めれば、自分を中心とした世界はそのように動くってことを、頭の中で整理できた良いアニメだった。Netflixに突然現れた謎の作品だと思っているそこの貴方、もう入口には立っていますよ。一緒に真理の扉を開けましょう◎(身体を放棄しろ!電子の世界で生きるぞ!は名言)。

ただ、軽い気持ちで見ると精神が宇宙の洗濯機に放り込まれるから、心して。もしくは観ない方が良い。

価値観の違いが自由を阻害するなんて決めつけてるのはきっと自分自身

いよいよNetflixで独占先行配信された『BNA』7話~12話。
早速全話視聴したから感想を。※チラっとネタバレしつつも大事なところには触れない紳士スタイルの記事をお送りします。

 

ちなみに、『BNA』に関しては前にも記事を書いているので、1話~6話を未視聴の人はそちらから合わせて読んで欲しい。

 

遂に物語は核心へ

あれ、”獣”人ってなんだっけ? みちるは元から獣人としてのスペックを遥かに超えていたけど、後半戦では獣人の概念を疑うような現象が多々起こる。いや、そもそも獣人の概念なんて俺も知らないけど。そんな突っ込みを入れている間に、本編では銀狼伝説の真実、市長と士郎の出会いなど矢継ぎ早にぶっちゃけエピソードが明かされていく。ここにきて爆発的な加速をみせるシナリオ。でも、この環状線をアクセルベタ踏みで走る飛ばし屋みたいな勢いこそTRIGGER。

法定速度を超えたまま、最大の謎である主人公みちる・親友なずなの2人が獣人になった原因も明らかになる。すごいサラっと書いてるけど、ここまで中々にモヤモヤ展開。みちるの一生懸命さが報われないような展開が続くからだ。6話までの時点だと、みちるがいっつも空回りしている軸の無い人間のように感じてた人もいるかもしれない。何を隠そう、俺も少し思ってた。けど、実はみちるは最初からブレてない。みちるはいつも”他人のこと”を想い続けていた。いつだって他人を心配して、親友のことを心配していた。その時その時の心配する相手によって行動の指針が変わるから、傍から見るとフラフラっとした人格っぽかったんだよね。物語後半になってようやくみちるの性格が理解できた気がする。

 

見てないところにこそ、真実はある

水面下で動いていた問題(ニルヴァジールシンドローム…名称が長い…でも響きが良い)が表に出てきて、噛み合い始める歯車。みちるだけの問題だと思っていた事が、ここで一気に獣人全員の問題になる。あれ、この物語、悪役が誰もいないんじゃ……? こんなに平和な作品があって良いのだろうか。いつものTRIGGERだったらグゥの音も出ないほどの超・悪が出てきて今までの敵と仲直りしながら打倒するハズ。来るか来るか…来てしまうのか、この優しい世界にも絶対悪が…。と、思ったらやっぱり来ました。 でも、悪はまさかの勢力。立場によって何者も悪に成り得るという良き例。※ラスボスは期待通りの人物だった。

 

絶対悪は絶対に悪の言葉を吐く法則

なんとも面白い展開。流石TRIGGER。最大の敵は最初から登場していたし、最大の味方はいつだって自分自身。獣がメインの話を非常に上手くまとめてきた。コレコレコレぇ! この展開を!待ってたんだよォ!あと相変わらずラストバトルの時のBGMが絶対に盛り上がるって凄いことだと思う。「それが世界の真実!」って叫びながら攻撃してくるのはラスボスの特権だよね。

 

「どう生きるかは自分で決める」

”強い女の子”はいつ観てもカッコ良い。物理的な話じゃなく、精神的に強い子ね(物理的に強くないとは言ってない)。そしてクライマックスの盛り上がりと表情の描き分けが尋常じゃない。たぶん一発で12000kcalくらいは消費してるんじゃないかって位の熱量。作画も同じ位カロリー消費してるのでは? 確実に螺旋エネルギー使ってるわ、コレ。最後はお家芸・全力ってところがGOOD。畳みかけつつも、物語は綺麗に折りたたまれるように終わってくれました。

 

「今の自分、結構好きなんだ」

この言葉がみちるの口から聞けただけで俺は満足です。自分のことを自分の意思で決めた子はの眼は輝いてる。人と獣人、2つの種族を体験し、真に理解しているのは、みちるとなずなの2人だけ。その上で選び取るこれからの自分。TRIGGERらしく、種族間のギャップに悩みつつも確実に喜びを得ていくという、センシティブな問題を描き切った良い作品でした。

依存症の俺は次回作も楽しみにしてます。
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いよいよこの国は女子高生が無駄に消費される世の中になった

この春ドラマ化もされた『女子高生の無駄づかい』について。

※この記事は作中のアダ名(キャラ名)でお届けしています。決して悪口ではないから安心して欲しい。そしてこの作品には馬鹿しか出てこない、重ね重ね、安心して欲しい。

 

JKが女子高生活を無駄に浪費する

意識が再来年までトんじゃってる系の馬鹿こと、バカが一応主人公として物語の中心にいるワケだけど、”中身の無いスッカスカのパン”と揶揄される通り、脳の容量が小さいマジモンの馬鹿だからこその愛らしさは一見の価値アリ。加えてバカと仲の良い2人、こいつらがまた問題だ。「昨日何食べた?」の問いに対して『徒然草』と返す姿にアッファ! とトゥンクしてしまう男子学生がいる通り、一見すると容姿端麗・頭脳明晰のロボ。ボカロPをマイケルジャクソンのように神聖視して、BLをこよなく愛する(生モノもイケるあたりが激しく問題)。美味しいモノを食べるとキレ口調になるヲタ。この3人が揃うことで奇跡のケミストリーが発生している。個人的にはヲタが一番ヤバイ、と見せかけて一番可愛い。作中唯一と言っても良いほどマジメな回(女子大生好きのクラス担任のワセダがヲタの好きなボカロPだという事がクリスマス・イヴのコミケで判明する回)は必見だ。

 

登場キャラの癖が濃い

他にも独創的な女子高生が登場するが、とにかく全員が非常に魅力的な社会のゴミである。これがこの作品の人気の秘密と言える。

というか何時の間にかロリ・マジメ・リリィの3人が仲良くなってるのすごく嬉しいよね。何だかんだでマジョ(画像左下の???)もロリのこと気に入ってるし、やはり性根が清く正しい女の子は万物に好かれるということだろう。いや、待て、でも今出てきた奴ら半数が激しくレズ気質持ってるから(約一名、友達のお母さんが綺麗だったらキス顔で待機する本物のレズ)ロリちゃん気を付けて。見た目は高校TOP3だからなまじ絵になるのがまた危険。マジョにいたってはアルパカの胎児のミイラを持ち歩き、それを御守りと称してクラスメイトに善意であげようとするあたりが本物。いわゆる黒魔術系女子高生まで網羅している。なんだこのジャンル。あぁ、ヤマイは保健室でドラゴンの末裔としての逸話を後世に伝えるためサボってるよ。

アニメ最終回では、この一癖も二癖もあるハミ出し女子高生たちが『ドラゴンボール』さながら一つにまとまって、ある一つの問題に立ち向かう。その姿に謎の感動を覚える…可能性は0ではなかったのだが、ガンギマリした女子高生たちの頑張る姿に一種の連帯感の様なモノだけ を感じた。つまり感動はあまり無かった。

 

実はまだこの先にヤバイ奴らが待ってる

「アニメ二期もやったらノラとヒメも出てくるのかなぁ…楽しみだなぁ…」気が付くと俺はそんなことを考えていた。…!? 馬鹿な…俺は今何を期待した? アニメ一期を気が付いたら全部観てしまった(二週はした)だけでなく。二期も望んでいる、とでも言うのか? …認めるしかない。この作品には謎の中毒性があるということを。ラーメン二郎だって、一度食べるとまた食べたくなるんだろ? きっとそれと一緒だよ。そういうことにしよう。

たぶんまた観る。面白いよコレ。

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『メイド・イン・アビス』こそが低迷する地上波に射し込む黎明

ファンタジー × 子供 = 胸躍る冒険

児童書に出てくる愛くるしい少年少女が、注射器の海に潜っていくような物語。満を持して、『メイド・イン・アビス』という大好きな作品のことを語りろうと思う。

人類最後の秘境と呼ばれる、未だ底知れぬ巨大な縦穴「アビス」。その大穴の縁に作られた街には、アビスの探検を担う「探窟家」たちが暮らしていた。彼らは命がけの危険と引き換えに、日々の糧や超常の「遺物」、そして未知へのロマンを求め、今日も奈落に挑み続けている。

ヒロインのリコは孤児院で暮らす探窟家見習い。アビスへの憧れが人一倍強い彼女は、母のような偉大な探窟家になることを夢見ていた。ある日の探窟で、リコは謎の存在に生命の危機を救われる。その何者かが放った熱線の跡を辿ると、そこには人間の少年そっくりのロボットが倒れていた。

リコはロボットにレグという名前を付け、孤児院の大人達の目を欺きながら、共に過ごすようになる。 レグが孤児院に入って2カ月が経つ頃、リコの母親であるライザの白笛と封書が地上に上がってくる。封書には、誰も見たことがない深層の生物の情報と「奈落の底で待つ」と書かれた紙が同封されており、その中にはレグに似たロボットのような絵も描かれていた。

ライザの封書を読んだ2人は、アビスの深層を目指すこととなる。リコは母親に会うために、レグは自分が何者なのか知るために…

もう設定からしてロマンしかない。冒険をする作品は数あれど、穴に潜っていく設定は何故か心をくすぐる。『放課後!ダンジョン高校』も似た設定だったが、あれは高校生活が中心だった。アビスはファンタジーに全振りという思い切った設定が◎。しかも可愛い子供の冒険、そりゃもう胸躍るってもんでしょう。

可愛い、とにかく可愛い。

ここで一つ名言しておこう。深界一層~四層までは死体を弄ぶ化物に襲われたり、リコの母親の師匠である不動卿こと”動かざるオーゼン”に出会って肉体・精神ともに虐められたりと、波乱が万丈しているものの、順調な滑り出しだ。読者並びにアニメ視聴者は、このまま多少の苦難を乗り越えながらも、リコが母親に出会い、レグは自分が何者なのかを知っていくだろうとタカをくくっていた。

そう、本番はここから先だ。

 

ファンタジー × 冒険 = 胸躍る冒険
(心拍数的な意味で)

いったい何があった!? 大丈夫? なんかストレス溜まってない? と原作者つくしあきひと先生を思わず心配したのは俺だけではないハズ。順調に歩を進めていた幼気な少女の目からドス黒い血を噴出させ、挙句「きり…おとして…」だと? どうすれば良い?どうすれば君を助けられる? レグは見事に俺の気持ちを代弁してくれたよ。冒険と言うものが夢に溢れた綺麗ごとだけではないことはわかったよ。だからこの状況を打破する方法を教えてくれ! な展開。そう、これが『メイド・イン・アビス』。

※この後、マジで少女の腕を切り落とそうと試みるレグ少年の突貫オペが披露される。→皆大好きナナチの登場(可愛い、とにかく可愛い)。

今思えば、オーゼンの顔芸からホラー要素が追加されていた(リコの母親のライザから結婚を報告された瞬間より抜粋、。ここ、作中では笑うところですよ)。この時、俺たちは気付くべきだった…ここから先は人間じゃなくなった者しか踏み入れられない世界が広がっているということに…。

ちなみに、今のところ明らかになってる探窟のエキスパート・白笛(人類最高峰に度し難い人格の面々)は、殲滅卿・不動卿・黎明卿・神秘卿・先導卿の5人。かつ原作でも登場しているのは不動卿と黎明卿の2人だけ。わかるだろうか? まだ2人しか登場してないんだ。殲滅卿はリコの母親だから友好的(であって欲しい頼むから)ということを考慮しても、クレイジーメンがあと2人残っている。全く持って恐ろしい。ロアナプラ出身でも出会ったら小便漏らして逃げるレベルのX-MENがあと2人だ。

何故、俺がこんなにビビっているのか。
それは上記にも挙げた黎明卿に原因がある。

お待たせしました。前置きは終了。
ここからアビスの深淵部分が具現化したと言っても過言ではない、みんな大好き黎明卿ことボンドルドを紹介していきたいと思う。

 

黎明卿:新しきボンドルド

アビスの全てを解き明かすべく、「前線基地(イドフロント)」にて研究に励む科学者。

劇中においては「大規模な虫害の未然防止」「それまで不可侵だったルートの開拓」「アビス深層での活動拠点の確保」「新薬の開発」そして「上昇負荷の克服手段を発見」などなど前代未聞の偉業をいくつも成し遂げており、人類のアビス攻略を一気に推し進めた正真正銘の偉人と言える。

彼自身その業績にあぐらをかくような性格ではなく、むしろ物腰のやわらかい子ども好きな博愛主義者。 現在までに登場した「白笛」の中では最も温厚な人物である。

おやおや、おやおやおやおやおや。温厚な人物なんて言い回し、可愛いですね、ウィキペディアさん。確かにボンドルドは誰に対しても紳士的な口調で、性格も基本的には温厚。しかも愛についても素晴らしい考えを有している。でも彼のクレイジーさはアビスの謎の探求という一点に対しての溢れんばかりの情熱にある。この情熱の前では世間一般の倫理観は月の裏側くらいまで吹っ飛ぶ。

「愛です。愛ですよ」を口癖に、より良い発明をするため、そして「アビスの夜明け」を見るためなら見知らぬ孤児も家族にするし、無償の愛を注ぐ。そして夜明けを見るため(夜明けとは)だったら、その家族の肉と皮を剥いで箱に詰め込んで身代わりに死んでもらう。だって家族ですからね。

皆大好きナナチもこの混乱具合(可愛いですね ナナチ)。それもそのハズ。ナナチ自身もボンドルドに拾われて大切に育てられた。だから多少なりとも(少なくとも途中までは)恩義を感じていたんだろうし、言うことを聞いていた。彼の「可愛いですね」に他意はなく、本当に心の底から家族として可愛いと思っているからこそ出てくる発言なのだが、本当に可愛いと思っている家族(と、その親友)すらも悪気なく、文字通りグッチャングチャンになるまで切り刻んで、実験して、廃棄するのが黎明卿の凄いところ。でも、そんなボンドルドにも可愛い可愛い一人娘がいた。

この記事のアイキャッチでも出ているが、リコと手を繋いでいる女の子、それがボンドルドの娘であるプルシュカだ。いや、もう、本当に良い子。多少世間知らずなところはありつつも、登場時には歳の近いリコとレグに対して仲良くなりたいと純真無垢な感情を向けてくる。そしてお父さん(ボン)のことが大好き。奈落の底に…オアシスがあったよ。きっと年齢的にリコ・レグ・ナナチと一緒に四人目のパーティメンバーとして冒険に加わるんですね。可愛い女の子3人に囲まれて旅ができるなんて、レグはプレイボーイだな! おじさん羨ましいぞ!

そんな夢を見る暇もなかった。

メヤァアァァ~!? プルシュカが箱詰めにされて何か体液零しちゃってるよ。どうしてこうなった? 夜明けのためです。以上。

自分自身に対して本当の意味で好意を持ってくれた(=完成した)ら、10年以上一緒にいた愛娘すらもコレ。でも大丈夫、夜明けへの礎となれたのですから。いや、どんな理屈? サイコパスって言葉すら生温いボンドルドの精神性に、読者の大半は畏怖というより畏敬の念を持ったことでしょうよ。こいつが根っからの悪人なら良かったよ(いや悪人ではあるが)、なまじ愛を持ってるから厄介であり、皆が大好きな狂人足りうる。それが黎明卿:ボンドルド。お判りいただけただろうか? その度し難さ。

※これは完全な余談だが、リコとプルシュカが”レグのちんちん”について話す極めて和みシーンがあるんだけどね。世間知らずのプルシュカは「ちんちんって何?」と、リコに聞くんだよ。「普段はこういう感じの…んで、レグがおっぱい見たりナナチを触ったりしてると…」と、絵を描いて説明するリコに対して「ああ!パパ棒のことか!」と反応するプルシュカ。おや?おやおやおやおやおやおや。なんでそこでパパ棒を連想した? 偉大な黎明卿が実験と称して家族の絆を深めすぎていなかったことを願うばかりである。

というワケで、色々と規格外な白笛。
その一端でしかない黎明卿のハイライトをお送りしました。

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「旅路の果てに何を選び取り終わるのか」

本当は作品に出てきた印象的なシーンについて、一つ一つ詳細な感想を語ろうと思ってたんだけど(特に、原作8巻の内容。良いよね!吐き気がするくらい!)。黎明卿がキャッチー過ぎて黎明卿特集になってしまった感ある。また9巻が発売されたくらいに書こうと思うので、それまでは既刊を読み返しながら映画のボン見て待とうかな、と。

リコ・レグ・ナナチ、そしてプルシュカの旅路がこれからも醜悪で悪夢のような混沌であっても、強く進んで行くことを願って。

この世界の片隅にある日本に生まれたことを俺は心から誇りに思う

日本に生まれたことに誇りを感じれる。
『この世界の片隅に』はそんな映画だ。

『この世界の片隅に』は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く

第二次世界大戦というものが記録だけの存在になり、歴史の授業で触れられるのは有名な将校と総理大臣の名前、あとは条約締結の年くらい。余程の歴オタか、意識高いガリ勉でなければ眠くなってしまうのは必至。かく言う俺も、全ての授業でうたた寝しなかったかと言えばウソになる。だが本当の意味で後世に語られるべきは、本作で描かれているような戦時下の日常ではなかったのではないだろうか。日本人なら皆どこか日常の延長のように感じれる適度なノスタルジック。これが無いと興味を持てない。10代ならなおのことだ。それが歴史の授業にはなかった。どこか遠い世界の話のように数字と人の名前を列挙しただけだった。夢の国の出来事のように。だから寝た。そう、だから、歴史の授業で寝た人間ほどこの作品を観るべきなんだよ。

舞台は呉(広島)。海には戦艦が並び、空には戦闘機が駆ける、それでも日常は流れていく。主人公のすずは嫁き先での人間関係と、慣れない土地での生活に慣れようと、悩みながらも移りゆく世界の片隅で力強く生きていく。これは自体が今の時代では決して見れない環境なんだけど、ありえない、ワケではない日常がリアル。

この作品が他の戦争映画と違って見やすい理由は、戦争が見事にエンターテイメントの一部として成立している点が挙げられる。と言うと不謹慎だと思われがちだが。俺が言いたいのは、戦争の凄惨さだけを押し付けられても普通は興味を持ちづらい(特に感受性豊かな日本人は辛いものを好まない)。日常の中にスパイスとして効かされた位だからこそ、逆にその環境での人々の苦しさや辛さが強調されている。実に秀逸。だから本作では、厳しい日常の中でも喜びを見出だして愛を育む人々が見事に描かれていた。

とはいえ、戦争の生臭さは見事にドストレートに描いてるからハラショー。空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込む。それが日常。そんな薄氷の上の日常が、ある日突然壊れた事実が現実感ある様子で描かれる。空爆で火の海になる街。吹っ飛ぶ右手。路傍で腐っていく人間。燃える家をバケツの水で濡らしている必死なすずの姿は、大人しいすずのキャラクターじゃなかったら表現できなかったと俺は思う。

「この世界で居場所はそうそう無くなりゃせんよ」

街が焼けて、右手が無くなっても、生活は続く。「いや、街が焼けて右手が無い時点でそれはもう日常ではないんですけど…」と思う。令和の時代の今はね。でも当時はそれが日常だったんだってことを、この映画を見て初めて知れた。いや、はじめて現実味を帯びて実感できた。この映画すげぇよ…。

 

「ボーっとしたまま死にたかった」

そんな地続きの日常の中で、基本的に大人しいすずが感情を露わにするのが”終戦”の瞬間。玉音放送ってヤツですね(歴史の授業で習った)。これ、戦争が終わって歓喜して泣いてるんじゃないんだよ。何でこんなに悲惨な目にあって、泣き寝入りしなくてはならないのと、行き場のない怒りと悲しみに涙が零れたんだよ。「辛かった戦いが終わったんだから、悔しがったのは役人とか兵士たちで。一般的な家庭は喜んだもんなのかな…」なんて思ってた俺はこの言い表せない気持ちを初めて学んだ。なるほど、確かに、今だから想像できるけど、何とも言えない気持ちになる。

 

「ありがとう この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

本音を言えば、日本にはもっとこういう映画が増えても良い(ジブリの『蛍の墓』・『風立ちぬ』も超良い作品だったけど、ちょっとだけドラマティックでしたね、大好きだけど)。戦争を経験した世代が少なくなっているからこそ、戦争を、忘れてはいけない史実として記録するためにも、もっと増えて欲しい。小学校の道徳の授業とかで流せば良いのに。

この世界の片隅に
※Prime Video 視聴用リンク

こんな経験を乗り越えてきた日本人として、
この世界の片隅で力強く誇りを持って生きていきたい。

五等分にした結果、愛の強さが五倍になった稀有な例『五等分の花嫁』

中野姉妹、誕生日おめでとうの気持ちを込めて。

一世を風靡したと言っても過言ではないほど異例のヒットを飛ばした『五等分の花嫁』。2017年夏~2020年の春まで週刊少年マガジンで連載された本作は俺たちに新しいラブコメの形を魅せてくれた。無論俺も大好きな作品だったワケだが。5月5日、姉妹の誕生日祝いも兼ねて本作の魅力を改めて語りたい。語らせてくれ。 ※全力でネタバレを言うスタイルなので原作未読の人は読まない or ネタバレ上等の人のみ読んで欲しい。

(いや、むしろこの記事を読めば未視聴でも大体のストーリーが理解できると思うので、無知識の人ほど読んでも良いかもしれない。)

まずはおさらいも兼ねてあらすじを。

結婚式当日、式場の部屋で微睡んでいた新郎の上杉風太郎は妻と初めて出会ったときを思い出す。

当時、高校2年生の風太郎は、成績優秀だが生家が借金を抱えており、貧乏生活を送っていた。ある日、風太郎は中野五月という転校生と知り合い、勉強を教えるよう乞われる。しかし風太郎はこれを断り、さらに放った一言が彼女の怒りを買ってしまう。その直後、風太郎は妹から「富豪の娘の家庭教師」というアルバイトの話を聞かされ、借金返済のためにその仕事を引き受ける。

風太郎の仕事は、五月を含む五つ子姉妹に勉強を教え、全員を高校卒業まで導くというものだった。落第寸前の成績であるにもかかわらず勉強する意欲すら見せない5人に頭を抱える風太郎だったが、夏祭りなどを通して五つ子と交流する中で、はじめから比較的協力的だった四女・四葉に加え、三女・三玖と長女・一花の信頼を勝ち取ることに成功する。だが、次女・二乃と五女・五月の協力は得られないまま、風太郎が家庭教師に就いて初となる中間試験を迎える。テストの結果は前回より上昇していたものの、赤点は避けられなかったため、家庭教師を続ける条件として5人全員が赤点を回避することを課されていた風太郎は、5人にアドバイスを残し去ろうとする。しかし、それまでは非協力的だった二乃が風太郎を庇って嘘の報告を父親にしたことで、ひとまず家庭教師を続けられることになる。

うん。これがアニメ1期の大まかなあらすじ。冒頭から結婚式当日で、その日に至るまでの青春を描くという『プロポーズ大作戦』スタイル(ただし、ハレルヤチャンスは無い)。上記の他にも、花火大会・林間学校という、視聴者にとっては心躍った一大イベントがあったが、これに関しては是非アニメを観てくれ。ラブコメは大概がイベントでラブってコメる。

本作の特徴として、終始中野姉妹が可愛い過ぎることが挙げられるが、何よりもストーリーが秀逸。ただの家庭教師モノかと思いきや、五つ子のうち一人はフー君と5年前に出会っている”運命の人”という設定が中間試験後に浮上。林間学校編からは、その運命の人が誰なのかというミステリ要素が追加される。この追加要素によって読者の間では「誰が運命の人なんだ?いや、待て、運命の人が結ばれるとは限らないのでは?」と熱い議論が交わされたのは記憶に新しい。さらに、王道ラブコメらしく、5人の姉妹それぞれが血で血を洗う恋愛を繰り広げる。ここがポイント。仲の良かった姉妹が同じ人を好きになることで互いに出し抜き合う(主に一花)。この三者三様ならぬ五者後様であり五人五色の甘酸っぱい駆け引きに、読者はハマっていった。

ここからは五つ子の可愛さをハイライトで紹介したい。推しを重点的に紹介したいところだが、ここは1~5まで順番に。公平にいこうぜ。

中野一花

まず一花。五つ子の長女にしてお姉さんキャラ。だがその実態は可愛い妹だろうと蹴飛ばして幸せを勝ち取ろうとする半天狗。自分の気持ちを胸の奥に秘めがちだが、一度発射すれば止まらない推進力を魅せる魚雷。そして地雷。三玖を泣かせた罪は重いが、アニメ2期で描かれるであろう修学旅行編では、彼女のおかげで姉妹の絆がより深く繋がるとともに、ファンを感動の渦に沈めた。高校生活中に女優としてデビューし、一躍有名人になるほどの美貌と強さを兼ね備え、名実ともに姉妹を引っ張る”強いお姉さん”に成長した。ダメ男を好きになってしまう世話焼きなところもそのキャラの確立に一躍買っているが、完璧すぎないところが彼女の人気の秘訣な気がする。ヤンデレ好きの俺はなんだかんだ彼女のことが好き。

アニメ2期で警鐘が鳴りやまなくなる視聴者が楽しみである。

中野二乃

気の強い二乃。物語序盤では主人公であるフー君のことをバイ菌のごとく扱い、最も手を焼いたツンデレ。実はその気の強さは弱さの裏返しであり、姉妹愛が5人の中で強いからこそATフィールドが厚かった真性ツンデレだ。アニメ一期では尺の都合で描かれなかったが、二乃の本気はこれからなんだよ。彼女が最も物語の中で熱い旋風を巻き起こしたと言っても過言ではなく、一花が爆弾だとしたら台風だ。俺は今でも覚えてるぞ、原作59話でフルスロットルになった彼女はそのままの勢いで物語のブレーキを破壊、最終話まで駆け抜けたザ・暴走特急と言っても決して過言ではない。その一直線具合は時速150㌔で全童貞を轢き殺した。なんとなく「報われないのかな…」と見ている者に感じさせるところがあざとい。ツンデレ好きの俺はなんだかんだ彼女のことが好き。

ここ数年のマガジンヒロインの中で一番熱い告白シーンは必見。

中野三玖

御淑やかな三玖。歴女で戦国武将が好きってところがもう可愛い。ヘッドホンも可愛い。というか全体的に可愛い。アニメ勢には、一番最初にフー君に堕とされたチョロインのように見えたかもしれないが、そこから健気に頑張る彼女の姿は俺に勇気を与えてくれた。人一倍恥ずかしがり屋なところも彼女の魅力であり、自分の恋心を自覚してからも中々フー君に告白をすることが出来なかった彼女が、気持ちを打ち明ける瞬間は作中屈指の名シーンだろう。自分の気持ちに正直になり、迷わなくなった彼女は無敵、頑張る女の子が大好きな俺は彼女のことがもちろん大好きだ。

俺の周りでは三玖推しが一番多かった。無論、俺も。

中野四葉

ここで一つぶっちゃけよう。四葉こそがメインヒロインだ。何故か。姉妹の中でもダントツで天真爛漫なお馬鹿キャラ。恋愛とはかけ離れた性格の脳筋かと思いきや、実は誰よりも相手の気持ちのことを考えることが出来る本当に良い子がここにいた。相手のことを第一に考えるため、自分の幸せは二の次。この性格になった理由も作中では語られたが、結果として四葉の性格の良さが他姉妹から頭一つ抜きんでていることを証明する名エピソードとなった。無邪気な笑顔の仮面に隠された深い苦しみを理解した瞬間、全読者は四葉こそが物語の主軸だったと認めざるを得なかったことだろう。もう言う必要が無いと思うが、苦労人が好きな俺は彼女のことも大好きである。

遅れて来た?いや、最初からそこにいた。それが真のヒロイン。

中野五月

末っ子の五月は食べるのが大好きな真面目キャラ。素晴らしい…見事に性格属性を網羅してくれた。末っ子で、何処か幼さが残るからか、最も恋愛の空気感を感じない五月。でも思い出して欲しい、一話で五月がフー君に声をかけたからこそ物語は動き始めた。そして家族ぐるみで仲良くなる姿。もっとも主人公との腐れ縁を感じる末っ子の恋愛はいつ始まるのか…実は五月こそがジョーカーなのでは…と、ワクワクしながらマガジンを買っていたのは俺だけではないハズ。そしてついにその瞬間が訪れたか? ついに五月もドロドロの略奪合戦に参戦か? と思わせてくれた作者の手腕には拍手しかない。実は姉妹で一番ギャップ萌えを実践していたし、もしかしなくても一番可愛い可能性あり。友達になってくれるなら、俺は五月が一番良い。

しっかり者に成長していく姿は青春そのものを体現していた。

五つ子のことそれぞれを思い出すだけでこんなに言いたい事があるなんて、やっぱり素晴らしい作品だったんだな。ここまでキャラ紹介に振っておきながら言うのもなんだが、この作品の一番良いところはあくまでストーリーの良さ。この記事を読むだけである程度は全体の流れが分かったと思うけど、詳細はぜひ原作かアニメにて、ということで。

五等分の花嫁 コミック 全14巻セット
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まさかこんなに長い記事になるとは思ってなかった。

大丈夫、俺も自分自身の作品愛の強さに正直引いてる。

でも後悔は無い。もう迷わない。

能ある殺人鬼は爪を隠しながら肝臓をソラマメと一緒に食べる

豚の群れを代表して賛辞を呈したい。

まずは、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』でそのカリスマを披露したハンニバル・レクターの気高さに拍手を。原作の時系列で言えば『レッドドラゴン』がストーリーの冒頭にあたるワケだけど。シリーズを通してその高貴な思考(嗜好)に全くの陰りは無い。もともと脇役だったレクター博士がこんなにも人気になるなんて作者も予想してなかっただろうが、『バットマン』のジョーカーに見て取れるように、信念のあるヴィランは得てして人の心を掴んで離さない。

流石、AFIの”アメリカ映画悪役TOP50”で、かのダース・ベイダーを抑えて1位に輝いた男。アンソニー・ホプキンス演じるレクター博士はそれだけ魅力的だって事。※ちなみに、ダース・ベイダーは3位、フレディは40位、俺的ベストヴィランであるジョーカーは45位。

てな具合で、レクター博士に関してはもはや有名過ぎてここでわざわざ魅力を語ることもないと思う。だから俺は『レッド・ドラゴン』について語りたいかな。ちなみに、この作品でも博士の煌めきエピソードがあった。作中、警察に自白剤を使われ、殺した学生を何処に埋めたかを尋問されたんだけどね、供述したのは人肉を食べる時の美味しいソースの作り方。わー!博士素敵…! (←俺の知人でもレクター好き女子がいるが、たぶんこんな反応する。すごい。)すごい、こわい。

「偉大なるレッド・ドラゴンを見よ」

ただ、『レッド・ドラゴン』ではみんな大好きレクター博士はそのナリを潜める。というより、開始10分で檻の中に引っ込む。そう、本作では”人食いハンニバル”ではなく、”噛みつき魔”ことレッド・ドラゴン(あだ名がダサイは禁句)が主役ヴィラン。そう、俺はこの作品も大好きなんだ。

正直、レクター博士に比べると実力不足だと思われても仕方ないと思う。(まぁ、序列第一位と比べてしまうのも可哀想かもしれないが)だが実は、全くそんなことは無い。コイツもかなりヤバい。そもそも、レクター博士が脇役として登場した作品のメイン敵。生半可なキチガイでは務まらないってことだろう。だってこの人、自分の悪口言った記者を拉致したと思ったら、背中の筋肉とドラゴンの刺青をダブル・バイセップスで見せつけ「私はドラゴンだー!」って言いながら自作ゴア写真を大型スクリーンで鑑賞させるんだよ(ダブル・バイセップスはボディビルのポージングだよ!  勉強になったね! )。挙句自分の大好きな絵画の原画見つけたら食べるからね。もうやめてあげて!世間の殺人鬼像が間違った方に進んで行く。

「君は俺を弱めた、そして苦しめた」

「だからショットガンで殺します。だって神が君を連れて行こうとするからー!」病み過ぎて本当に理解できないとこまでキマッたー!!  『TRICK』だったら仲間由紀恵も突っ込み入れないシリアスな空気感で言い放たれる愛の告白に、超低血圧の俺もつい興奮してしまう具合のサイコパス。人間でありながら神をその身に宿したと言う猟奇殺人鬼の行動は終始ヤンデレ。俺、ヤンデレって好きなんだよね。しかも筋骨隆々のヤンデレってヤバくない? 愛が肉纏って具現化した感じ。

そんな彼も最後は見事にザ・悪役を全うします。気持ちいい位に善良な悪役を演じてるから映画好きは一見の価値はあると思う。色んなサブスクで観れるから是非。

レッド・ドラゴン (吹替版)
※Prime Video 視聴用リンク

一方、レクター博士は檻の中で”噛みつき魔”と文通しながら、しっかりと事の顛末を把握しつつ、脱獄の準備を進めていたのだった。流石。→ 『羊たちの沈黙』・『ハンニバル』へ続く。

はぁ~、知的なヴィラン好きだ。